ブラームス(58)奇跡の復活! 一時は遺書も用意?2013-02-15

平凡社「音楽大事典」によると、ブラームスが晩年にクラリネット作品を作曲した経緯は

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90年秋に弦楽五重奏op.111を完成するが、創作力の衰えをさとり大作の作曲をやめ、これまでの仕事の整理にとりかかり、91年の誕生日には遺書まで書いた。
しかし、そのころマイニンゲンを訪れ、宮廷管弦楽団のクラリネット奏者ミュールフェルトの演奏に魅せられて再び創作意欲を取り戻し、94年までクラリネットを含む室内楽曲を次々と書いた。
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との事。巷ではさらに感動秘話的に書かれているように思います。そこで、スポーツ新聞の記事だと思って懐疑的に読んでみました。

「創作力の衰え」
・創作力はともかく健康状態が衰えていたのは確か。(89年の録音の際にピアノの演奏の衰えを実感したという逸話も有名。)

「作曲をやめた」
・構想していた交響曲を断念した、とか、積極的に大曲は書かない、のような意では。

「遺書を書いた」
・遺書というより身辺整理に近いのでは? (ベートーヴェンのような物ではないはず。)

「91年にマイニンゲンでミュールフェルトの演奏に魅せられ」
・ソロは91年に初めて聴いたとしても、マイニンゲン宮廷楽団で吹くのは81年から聴いていたはず。マイニンゲン宮廷楽団では85年に交響曲4番の初演もしている。(ミュールフェルトが活発なソロ活動を始めたのは90年頃、ブラームスとの個人的親交は91年以降。)
・ミュールフェルトに説得された、という説もある。
・クラリネット五重奏は88年頃にも作曲したが破棄。これをop.115の下敷きとした可能性もある。(交響曲の構想を転用した可能性もある。)
・そもそもブラームスのクラリネット作品はモティーフの緻密な組み立てによって作曲されていて、これほど「インスパイア」という言葉が似合わない作品もないのでは?

少なくとも「ミュールフェルトにインスパイアされたら曲が次々にできちゃった!」という単純な話ではないはずなのですが、書き方も読み方も難しいですね...。このブログやカフコンスのプログラムコメントも内容に大きな偏りがありますので皆様ご注意下さい...

最後に明後日の「月刊カフコンス」2月17日号(通算99号)の見出しを。

◇早逝マハツ(マイニンゲン)未発表小品 ジムロックが出版か
◇真のブラームス後継者? これがウワサのベルガー(42)だ!
◇ブラームス(58)復帰の二発! ヨアヒムらは三重奏に軍配?

ご来場お待ちいたしております!


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明後日の演奏メニュー

2013年2月17日(日) 11時開演(10時40分開場)
於:本郷・金魚坂 / コーヒーまたは中国茶つき 1,500円

cafconc第99回
ブラームスとミュールフェルト

L.マハツ「春が来た op.33-1」(cl/pf)
W.ベルガー「クラリネット三重奏曲 op.94」より第3楽章
ブラームス「クラリネット三重奏曲 op.114」

大橋裕子(クラリネット)
船田裕子(チェロ)
川北祥子(ピアノ)

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