『ルチア』&『フィフスエレメント』その32000-12-04

映画に登場するオペラ作品の数々をとりあげて、
わかりやすく楽しく紹介するコラムです。
この映画もう一回見直してみよう、オペラっておもしろいんだね、って
少しでも思っていただけると嬉しいです。


映画を見たらオペラも見ようよ
第6回 宇宙人オペラ歌手が『ルチア』を歌う『フィフス・エレメント』
~2214年、地球のオペラ界は宇宙人に征服される!?
そろそろ佳境に入った対談その3

ゴシマ氏の予想「ああつらいーつらいー、もう狂ってしまってこの身が燃え尽きて世界が破滅してしまいそうー」はどこまで当たっているのか?『ルチア』ストーリーです。

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1幕1場、城主エンリーコは妹ルチアを政略結婚させようとしているが、ルチアは以前命を救われたエドガルドを愛している。しかしエドガルドはエンリーコの抗争する仇敵で、2人の密会を知ったエンリーコは怒りをあらわにする。2場、城内の庭園の泉のほとりでエドガルドを待つルチアは、嫉妬で刺されて泉に落ちた女の幽霊が血まみれであらわれるという不吉な物語を思い出す。そこへ現れたエドガルドはルチアに指環をはめ愛を誓い、エンリーコとも和解するつもりだと約束する。

2幕1場、エンリーコはルチアにエドガルドが心変わりしたという偽の手紙を見せて政略結婚を承知させる。2場、結婚の宴。失意のルチアが結婚契約書にサインしたところへ何も知らぬエドガルドが来て驚き、登場人物がそれぞれの心の内を歌う6重唱となる。エドガルドはエンリーコと決闘しようとするがルチアが自分でサインしたと知ると指環を引き抜き投げ捨て、殺せと叫ぶが追い立てられる。

3幕1場、エドガルドとエンリーコはエドガルドの祖先の墓の前で夜明けに決闘することを約束する。2場、狂乱して新郎を刺したルチアが血まみれで人々の前に現れる。ルチアは今宵がエドガルドとの結婚式だと信じて愛の思い出を歌い、天上の神に祝福されるのを喜び、息絶える。3場、エドガルドは祖先の墓の前で決闘を待ち、この世との決別を歌うが、ルチアの狂死を知らされ、せめてルチアと天国で結ばれようと胸に短剣を刺して自ら死を選ぶ。
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『フィフス・エレメント』で歌われていたのは3幕2場「狂乱の場」の冒頭、「敵から逃れてあなたの所へ戻ってきたわ。この泉のほとりで一緒に座りましょう。」という場面。(もちろん後半のアクションが絡む場面はエリック・セラのオリジナルで、これがまた70年代っぽいというか、あのアタマ悪そうなタレントのラップも、こんなのが23世紀の音楽だってのはどうかと…)曲と映画の内容リンクは特に考えられていないと言っていいでしょう。

オペラ:そんなわけで、とにかくキレイな歌だけど狂っているシーンなの。ほんとに狂って絶叫したら怖いからね、端正にキレイに歌うことで逆にイッちゃってることを表現するっていうのかな。ベッソン&セラの『アトランティス』(「soul」のパート)で使われてる『夢遊病の女』のアリアも「狂乱の場」。こっちは狂ってるっていうより夢遊病で、夢からさめてハッピーエンドなんだけどね。(でも何でマンタがゆっくり泳ぎ回るのにこの曲なんだ?)『ルチア』も『夢遊病の女』も「ベルカントオペラ」っていう声の美しさやなめらかさが強調されるイタリアの伝統的なオペラで、きっとベッソンが「最もオペラらしい」と思うのがこういう曲なんだろうね。そういえば前にゴシマさんから映画に使うのにオペラっぽい感じの曲を探してくれって言われた事があったけど、やはりこういうのが「オペラだなあ」って感じなのかな?

SF魂:その昔、さっちゃんに曲探しを頼んだときは「なんか声楽曲ならオッケー」程度の感じでした。実は、曲だけではオペラらしさってよくわかりましぇん。でも最近さっちゃんに勧められていくつかオペラ見たけど、すごい面白かった。なんか、見れば見るほど面白い感じ。小説や映画と比べると「物語で感情を揺さぶられる」って感じは少ないんだけど、劇場の空間がすごい濃密になって、その一部になる感じがすごい好き。演劇とか、ライブとか、すごくダイレクトで、「生身の役者の演技」が刺さってくる感じが面白いんだけど、オペラはそれとは違って、酒でも飲みながら優雅に場を作る感じがすごいなあと。(もちろん、演者達はすごい努力でその「場」を観客に「提供」してるんだけど。)このあたりに近代と現代のエンターテインメントをわける線が引けそうかな(エラそう)。と、それはそれとして、オペラらしさって、「台詞で物語が進む、歌はその時の感情を大声で解説してる」ってことかなあ?あってる?

オペラ:台詞の部分はしゃべるのも全部歌になってるのもあるけど、基本的には物語が進んで何かキーワードが出たところで見得を切って1曲歌うっていうのが一般的かもね(そういうのじゃなくした1人はワーグナー、第4回参照)。けっこう戯曲とそれを原作にしたオペラを比べるのも面白いんだよ(第5回も参照)。戯曲だとほんの数語がオペラだと数分かかったりして、それにすべて歌うわけだしね。

SF魂:こっそり隠れてるのに、「あーこまったなー、見つかったらどうしよー、どうしよー、」って、大声で歌い上げちゃうのが、オイラにとって、今一番「オペラらしい」行為なのです。怒る?怒る?

オペラ:いやいや、ナイショ話も大声でっていうのはオペラの基本。それとね、WHオーデン(イギリスの詩人)の言葉に「すぐれたオペラの筋書きは理屈の通っているはずがない。人は理屈の通っていると感じている時には歌ったりしない。」っていうのがあって、これすごく好きなんだなあ。ところで『フィフス』に戻るけど、オペラはともかく、その後半のハチャメチャはけっこう楽しかったよね。

SF魂:そうだノウ、オペラの後半はバカ丸出しって感じだったけど、この映画の中では一番吹っ切れてる感じで、なんか楽しめてしまった。

オペラ:あの見事にぶっ壊されてた劇場=コヴェントガーデン王立歌劇場ってね、97年(『フィフス』公開年)から99年まで大掛かりな改装工事やってたみたいなんだよね。もしかして壊されたから?っていうのは冗談としても、改装するから壊したんだったりしたら楽しくない?劇中で「昔のままのスタイルのオペラハウスだよ」って紹介されてたのもちょっといい感じ。だって2000年の今すでにもうないわけでしょ。これ、もしそうなら唯一『フィフス』で絶賛したい点。

SF魂:そりゃスゴイナリ。ホントにぶっこわしてたら、明日からベッソン監督はマイ・フェイバリットに2階級特進です。いや、ほんとかなあ?ほんとだったらスゴイぞう。

オペラ:どなたか真相ご存知でしたら教えて下さい。それにしても何で宇宙人でオペラなのかなあ。宇宙人がまた中途半端なデザインで。でも歌い手に言わせればあのアタマの形はすごくオペラに向いているらしい。共鳴がすごく良さそうだって。地球人じゃ太刀打ちできなくて、スカラもメトも宇宙人に占領されちゃうんだろうなきっと。蝶々夫人も椿姫もつうもみんなあの触覚が生えてる…ちょっとやだ。(ブルースさん今度過去に戻ったら地球にオペラを取り戻して下さい。)

SF魂:っつーか、宇宙人だって宇宙人なりの文化があって、音楽にしても歌劇にしても、もっと独自の物を発展させてるっての。しかしあの触覚って、なんのための器官なんだろう?『Dr.スランプ』のニコちゃん大王は「鼻」だったけど、フィフスの人は(無人君もね)ちゃんと鼻孔があったし。実はあのルチ将軍な後頭部は空っぽで、音を共鳴させる為だけの器官で、触覚はバスレフポートかも知れないね。緑色の皮膚は、地球の動物と違って鉄の科学反応で酸素を摂取していないことを予想させるけど、光合成してるんだろうか?ってのはいいとして、やっぱりイタリアにオペラ留学したのかなあ?彼女。あの客船の他のフロアでは、「宇宙ロック」とか、「宇宙能」のライブが行われてたりしてね。

オペラ:(能は日本に留学してたアルマジロ星人だったりして。)まあやっぱり23世紀のポップスを創作するのは難しいし、オペラなら時代を越えても許されるだろうってとこなんだろうけどね。でも『フィフス』はともかく例えば『ディーバ』、あれはポップス歌手じゃダメでしょ。逆に『ボディガード』がオペラ歌手じゃダメなようにね。「どうしてオペラ歌手なのか?」っていうのを考えると「オペラとは?」っていうのも見えてきそうに思えるんだけど。

というわけで次回いよいよ大詰め!

◇『フィフス・エレメント』THE FIFTH ELEMENT(1997仏/米)
監督:リュック・ベッソン
音楽:エリック・セラ
出演:ブルース・ウィリス/ゲイリー・オールドマン

◆『ランメルモールのルチア』LUCIA DI LAMMERMOOR(1835初演)全3幕
作曲:ドニゼッティ G.Donizetti(1797-1848)
原作:スコットの小説「ランマムーアの花嫁」
台本:カンマラーノ

川北祥子(stravinsky ensemble)
東京芸術大学大学院修了、「トムとジェリー」とB級映画とパンダを愛するピアノ奏者。
「トムとジェリー」からはクラシック音楽の神髄を、
B級映画からはお金がなくても面白いコトに挑戦する心意気を学ぶ。
パンダからは…?