アジア担当 K ― 2011-05-06
「旅への誘い」、ピアノはアジア方面担当です。演奏するのは、タンスマン(ポーランドの作曲家・ピアニスト、1897-1986年)の「ミニアチュア世界一周」から、「日光の哀しみ」「上海の鳥市場」「バリのガムラン」等の予定。
「ミニアチュア世界一周」はタンスマンが1933年の世界ツアーの際に訪れた先々で書きためた小品集で、アメリカを出発し、アジア各地を経てイタリアに到着する16曲で構成されています。各曲はごく短く、第3曲「日光の哀しみ」もわずか16小節です。
しかしこの曲の日本らしさはハンパじゃありません。来日して宮城道雄の箏の演奏に接したタンスマンは、その音型、音響、間(ま)までもピアノで見事に再現してしまいました。まあだいたい日光に哀しみを見いだす時点でもう純日本風なわけですが。
残念ながら他国の曲については自国のような実感ができず、また演奏の難易度も低いので(笑)今回は3曲程度のみ取り上げますが、もしかしたら凄い曲集なのかもしれません。機会があったら全曲お聴(弾)きになってみてください。
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*今月の演奏メニュー
5月15日(日)11時〜 於:笹塚Blue-T(中国茶つき1,500円)
旅への誘い
シャブリエ「旅への誘い」sop.fg.pf.
ゴダール「旅への誘い」sop.pf.
タンスマン「ミニアチュア世界一周」より pf.
ミニョーネ「街角のワルツ」ほか fg.
ミヨー「夏の旅」より sop.pf.
渡辺有里香(ソプラノ)
江草智子(ファゴット)
川北祥子(ピアノ)
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「ミニアチュア世界一周」はタンスマンが1933年の世界ツアーの際に訪れた先々で書きためた小品集で、アメリカを出発し、アジア各地を経てイタリアに到着する16曲で構成されています。各曲はごく短く、第3曲「日光の哀しみ」もわずか16小節です。
しかしこの曲の日本らしさはハンパじゃありません。来日して宮城道雄の箏の演奏に接したタンスマンは、その音型、音響、間(ま)までもピアノで見事に再現してしまいました。まあだいたい日光に哀しみを見いだす時点でもう純日本風なわけですが。
残念ながら他国の曲については自国のような実感ができず、また演奏の難易度も低いので(笑)今回は3曲程度のみ取り上げますが、もしかしたら凄い曲集なのかもしれません。機会があったら全曲お聴(弾)きになってみてください。
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*今月の演奏メニュー
5月15日(日)11時〜 於:笹塚Blue-T(中国茶つき1,500円)
旅への誘い
シャブリエ「旅への誘い」sop.fg.pf.
ゴダール「旅への誘い」sop.pf.
タンスマン「ミニアチュア世界一周」より pf.
ミニョーネ「街角のワルツ」ほか fg.
ミヨー「夏の旅」より sop.pf.
渡辺有里香(ソプラノ)
江草智子(ファゴット)
川北祥子(ピアノ)
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南米担当 E ― 2011-05-08
今回、旅をテーマにしたプログラムの中で、わたくしは南米を担当、ミニョーネの「ファゴットのためのワルツ」をブラジル・サンパウロの街角よりお送りしたいと思います。まずは作曲者のミニョーネについて。あまり耳馴染みのない作曲家かもしれませんので経歴を少し詳しく書かせていただきます。
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フランシスコ・ミニョーネ(Francisco Mignone 1897~1986年)はイタリアから移住した両親のもとにサンパウロで生まれ、オーケストラのフルート奏者であった父親の手ほどきで音楽の勉強を始め、サンパウロ音楽院やミラノのヴェルディ音楽院にて研鑽を積んだ。60年間にわたって多くの作品を生み出し、作曲活動は大きく5つの時期に分けられる。
まず、シコ・ボロロ(Chico Bororo)の名でポピュラー音楽やダンス曲を作曲していた1910~20年頃は、音楽を楽しむ人々で賑わうサンパウロの夜更けの街で、仲間たちと集まっては即興演奏をしていた。そして、自身の名で発表したオペラや交響詩が成功、ヨーロッパへ遊学し活躍していた1920~30年頃には、ドイツ、スペインなど各地を訪れ、影響を受けた。
1930~60年頃はナショナリズムの時期。当時のブラジルでもっとも著名な音楽学者で、ミニョーネの若い頃からの師でもあったマリオ・デ・アンデラーデ(Mario de Andrade)の「イタリアっぽすぎる、ブラジルらしくない」(超訳、すみません)という言葉を真摯に受け止めたミニョーネは、ブラジル特有のリズムやメロディーを生かし民族的なテーマを追求した。
そして1960~70年頃は、民族色に頼らない様々な技法や様式を試した実験期間(と勝手に名付けさせていただき)、1970年頃~亡くなるまでは再びナショナリズムに回帰しブラジル音楽の素材を好んで多用した。
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「ファゴットのための16のワルツ(16 valsas para fagote solo)」はこの最後の時期(1979〜81年)に作曲され、ブラジルのファゴット奏者ノエル・デヴォス(Noel Devos)に捧げられています。ヨーロッパの伝統的なワルツとの大きな違いは、これらが踊るためではなく、夕暮れの街中で恋人たち ー 正式な恋人、隠れた恋人、夢見る恋人(作曲者談) ー のためにセレナーデの様式で奏されていたこと。個々のワルツには題名がつけられており、ブラジルの文化や音楽様式への尊敬を表したものや、師・アンデラーデに捧げたもの、深い親交のあったヴィラ=ロボスへ捧げた「ヴィラが書かなかったModinha(ポルトガルとブラジルの愛歌)」、また「繊細なワルツ」「ノエル(上述ファゴット奏者)へ、ハッピー・イースター!」「未亡人」「Got you, my little bassoon」など、作曲者のユーモアが感じられるタイトルが並んでいます。
今回はこの16のワルツから、「街角のワルツ」と「即興のワルツ」を演奏いたします。この2つを選んだ理由については長くなりすぎたので割愛させていただきまして、最後にミニョーネの言葉を引用していったん締めさせていただきます。
― 「どうして街角に?」と聞かれますが、私たちはそこに立ち、決して消えることのない夢を弾いていたからです。 ―
ステキですね。ちなみにシャブリエの「旅への誘い」の編成に関して「どうしてファゴットに?」という疑問をKさんから投げかけられて少し焦っているのですが、ミニョーネがギター、ピアノのためのワルツ群を作曲したあとに「どうしてファゴットに」こんなにワルツを書いてくれたのかは資料集めしてたら答えがありました(゜▽゜)。でも当日の演奏時間に反比例してだいぶ長くなってしまいましたので、この辺で失礼いたします。
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*今月の演奏メニュー
5月15日(日)11時〜 於:笹塚Blue-T(中国茶つき1,500円)
旅への誘い
シャブリエ「旅への誘い」sop.fg.pf.
ゴダール「旅への誘い」sop.pf.
タンスマン「ミニアチュア世界一周」より pf.
ミニョーネ「街角のワルツ」「即興のワルツ」 fg.
ミヨー「夏の旅」より sop.pf.
渡辺有里香(ソプラノ)
江草智子(ファゴット)
川北祥子(ピアノ)
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フランシスコ・ミニョーネ(Francisco Mignone 1897~1986年)はイタリアから移住した両親のもとにサンパウロで生まれ、オーケストラのフルート奏者であった父親の手ほどきで音楽の勉強を始め、サンパウロ音楽院やミラノのヴェルディ音楽院にて研鑽を積んだ。60年間にわたって多くの作品を生み出し、作曲活動は大きく5つの時期に分けられる。
まず、シコ・ボロロ(Chico Bororo)の名でポピュラー音楽やダンス曲を作曲していた1910~20年頃は、音楽を楽しむ人々で賑わうサンパウロの夜更けの街で、仲間たちと集まっては即興演奏をしていた。そして、自身の名で発表したオペラや交響詩が成功、ヨーロッパへ遊学し活躍していた1920~30年頃には、ドイツ、スペインなど各地を訪れ、影響を受けた。
1930~60年頃はナショナリズムの時期。当時のブラジルでもっとも著名な音楽学者で、ミニョーネの若い頃からの師でもあったマリオ・デ・アンデラーデ(Mario de Andrade)の「イタリアっぽすぎる、ブラジルらしくない」(超訳、すみません)という言葉を真摯に受け止めたミニョーネは、ブラジル特有のリズムやメロディーを生かし民族的なテーマを追求した。
そして1960~70年頃は、民族色に頼らない様々な技法や様式を試した実験期間(と勝手に名付けさせていただき)、1970年頃~亡くなるまでは再びナショナリズムに回帰しブラジル音楽の素材を好んで多用した。
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「ファゴットのための16のワルツ(16 valsas para fagote solo)」はこの最後の時期(1979〜81年)に作曲され、ブラジルのファゴット奏者ノエル・デヴォス(Noel Devos)に捧げられています。ヨーロッパの伝統的なワルツとの大きな違いは、これらが踊るためではなく、夕暮れの街中で恋人たち ー 正式な恋人、隠れた恋人、夢見る恋人(作曲者談) ー のためにセレナーデの様式で奏されていたこと。個々のワルツには題名がつけられており、ブラジルの文化や音楽様式への尊敬を表したものや、師・アンデラーデに捧げたもの、深い親交のあったヴィラ=ロボスへ捧げた「ヴィラが書かなかったModinha(ポルトガルとブラジルの愛歌)」、また「繊細なワルツ」「ノエル(上述ファゴット奏者)へ、ハッピー・イースター!」「未亡人」「Got you, my little bassoon」など、作曲者のユーモアが感じられるタイトルが並んでいます。
今回はこの16のワルツから、「街角のワルツ」と「即興のワルツ」を演奏いたします。この2つを選んだ理由については長くなりすぎたので割愛させていただきまして、最後にミニョーネの言葉を引用していったん締めさせていただきます。
― 「どうして街角に?」と聞かれますが、私たちはそこに立ち、決して消えることのない夢を弾いていたからです。 ―
ステキですね。ちなみにシャブリエの「旅への誘い」の編成に関して「どうしてファゴットに?」という疑問をKさんから投げかけられて少し焦っているのですが、ミニョーネがギター、ピアノのためのワルツ群を作曲したあとに「どうしてファゴットに」こんなにワルツを書いてくれたのかは資料集めしてたら答えがありました(゜▽゜)。でも当日の演奏時間に反比例してだいぶ長くなってしまいましたので、この辺で失礼いたします。
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*今月の演奏メニュー
5月15日(日)11時〜 於:笹塚Blue-T(中国茶つき1,500円)
旅への誘い
シャブリエ「旅への誘い」sop.fg.pf.
ゴダール「旅への誘い」sop.pf.
タンスマン「ミニアチュア世界一周」より pf.
ミニョーネ「街角のワルツ」「即興のワルツ」 fg.
ミヨー「夏の旅」より sop.pf.
渡辺有里香(ソプラノ)
江草智子(ファゴット)
川北祥子(ピアノ)
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避暑地担当 W ― 2011-05-10

「旅への誘い」、プログラムの最後は南仏の避暑地へご案内します。
エクス・アン・プロヴァンス出身のミヨー(1892-1974年)は、毎年エクスに程近い山の別荘で夏を過ごしていました。自伝でも、子供時代の幸せな夏の思い出や、「仕事もそこで一番よくできた」事に触れています。
しかし1939年に第二次世界大戦が勃発すると、その幸福な場所は「無力感と恐ろしいほどの苦痛と、動員された友人達についての日常的な不安感に圧倒された、終わることのない待機」の場所となりました。ミヨー一家は春まで別荘に留まった後、エクスからアメリカへ亡命しました。
「夏の旅(1940年)」は、そんな激動の時代に別荘で作曲された歌曲集ですが、作品自体は「戦前の休暇の楽しさを思い出させる」ものだとミヨーは語っています。それもそのはず、詩の作者カミーユ・パリアール一家もエクスで暮らし、ミヨー一家とはお互いの家や別荘を行き来する親しい間柄。彼女の綴った夏の風景はミヨーの幸せな夏の記憶にも一致したのでしょう。もしかしたら、詩に出てくる釣りやキノコ狩りにミヨー本人も居合わせていたかもしれません。
さて、イラストは「夏の旅」の地図です。楽譜を見てすぐに、絵にしたら楽しそう、と思いつきました。心のうちを描くというよりは情景と率直な感想が描かれている詩で、様子がよくわかる、という感じだからです。曲から曲への移り変わりは絵本でもめくっていくような感覚があります。一曲ごとの絵を描けたら、と思いますが、それはまたの機会に…
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*今月の演奏メニュー
5月15日(日)11時~ 於:笹塚Blue-T(中国茶つき1,500円)
旅への誘い
シャブリエ「旅への誘い」sop.fg.pf.
ゴダール「旅への誘い」sop.pf.
タンスマン「ミニアチュア世界一周」より pf.
ミニョーネ「街角のワルツ」「即興のワルツ」 fg.
ミヨー「夏の旅」より(全15曲中、11曲を演奏予定) sop.pf.
渡辺有里香(ソプラノ)
江草智子(ファゴット)
川北祥子(ピアノ)
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エクス・アン・プロヴァンス出身のミヨー(1892-1974年)は、毎年エクスに程近い山の別荘で夏を過ごしていました。自伝でも、子供時代の幸せな夏の思い出や、「仕事もそこで一番よくできた」事に触れています。
しかし1939年に第二次世界大戦が勃発すると、その幸福な場所は「無力感と恐ろしいほどの苦痛と、動員された友人達についての日常的な不安感に圧倒された、終わることのない待機」の場所となりました。ミヨー一家は春まで別荘に留まった後、エクスからアメリカへ亡命しました。
「夏の旅(1940年)」は、そんな激動の時代に別荘で作曲された歌曲集ですが、作品自体は「戦前の休暇の楽しさを思い出させる」ものだとミヨーは語っています。それもそのはず、詩の作者カミーユ・パリアール一家もエクスで暮らし、ミヨー一家とはお互いの家や別荘を行き来する親しい間柄。彼女の綴った夏の風景はミヨーの幸せな夏の記憶にも一致したのでしょう。もしかしたら、詩に出てくる釣りやキノコ狩りにミヨー本人も居合わせていたかもしれません。
さて、イラストは「夏の旅」の地図です。楽譜を見てすぐに、絵にしたら楽しそう、と思いつきました。心のうちを描くというよりは情景と率直な感想が描かれている詩で、様子がよくわかる、という感じだからです。曲から曲への移り変わりは絵本でもめくっていくような感覚があります。一曲ごとの絵を描けたら、と思いますが、それはまたの機会に…
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*今月の演奏メニュー
5月15日(日)11時~ 於:笹塚Blue-T(中国茶つき1,500円)
旅への誘い
シャブリエ「旅への誘い」sop.fg.pf.
ゴダール「旅への誘い」sop.pf.
タンスマン「ミニアチュア世界一周」より pf.
ミニョーネ「街角のワルツ」「即興のワルツ」 fg.
ミヨー「夏の旅」より(全15曲中、11曲を演奏予定) sop.pf.
渡辺有里香(ソプラノ)
江草智子(ファゴット)
川北祥子(ピアノ)
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