テントウムシ/トンボ(サンサーンス)2013-04-26

虫の歌を歌う…そもそも虫とは極力接点を持ちたくないのだが、そんなに曲数もないだろうし、いいところ蝶やてんとう虫くらいなのでは…と高を括っていたらとんでもない、多種の虫が曲をつけてもらっていることが分かった。

少なくとも私にとっては、虫は得体の知れない存在である。できる限り関わらずに暮らしたい。愛らしかったり哲学的ですらある詩、美しいメロディーの数々に、なぜそんな風に虫を捉えられるのだろう?と思ってしまう。

遠くから当たりさわりなく眺めてみればいいのだろうか。確かに対峙しなければ、蜂なんてかわいいもんだし、てんとう虫は愛らしく、蟻さんたちが協力している姿は面白い。鳴く虫は鳴き声だけ聞いていれば、それが色々な記憶を思い起こさせてくれる。

というわけで、演奏するに当たり、必ずしも虫そのものをクローズアップする必要がないことにホッとした。虫のいる風景、それはなかなか素敵なひとときなのですね。

さて、サンサーンス(1835-1921)「テントウムシ(1868)」は聞くからにかわいらしい作品である。 美しい彼女が促していることにも気づかず、若者はキスできるチャンスを逃してしまう。それは「神の虫」と言われる幸運の虫、テントウムシが設えたシチュエーションだった。テントウムシは、キスよりテントウムシに気が行ってしまった若者の愚かさを指摘するが、落胆し後悔している若者の気持ちがよく現れていて、残念でもあり微笑ましくもある。

トンボ
「トンボ(1893)」は、作詞もサンサーンスである。詩を眺めてみると、メスのトンボの様子が幾通りにも描かれており、情景的だと思いきや、最後になると、トンボは残忍さの代名詞であり、虐殺に喜びを抱き、執念深いが美しい、とある。メロディーは派手になる一方。

調べてみると、西洋においてトンボは、そもそもあまり良いイメージではないようだ。邪悪なものであったり、「femme fatale(運命の女性、男を破滅させる魔性の女)」のシンボルでもあるとのこと。この詩はこれに当てはまりそうだ。

サンサーンスがこのような詩を作ったのも興味深いが、トンボのイメージが日本人が連想するものとかけ離れているのが驚きだ。日本では夕焼け空や秋、群れを成してついついと飛んでいる様を思い浮かべ、ノスタルジックな気持ちにさせられる。トンボの性別も考えたことがない。今度トンボに会ったら、別の見方をしてみよう。何か納得できるかもしれない。

最後に私の通っていた幼稚園で毎朝歌うトンボの歌を一曲。やはりトンボの獰猛さはない。今でも変わらず毎朝歌っているそうだ。

とんぼやとんぼ
むぎわらとんぼ
しおからとんぼ
もちざおもつとも
おまえをささぬ
ひなたはあつい
こっちきてあそべ
ひかげでやすめ


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明後日の演奏メニュー

2013年4月28日(日) 11時開演(10時40分開場)
於:本郷・金魚坂 / コーヒーまたは中国茶つき 1,500円

cafconc第101回
虫のカタログ

アルカン(生誕200年)「コオロギ」pf.
ゴダール「ミツバチ」/シャブリエ「セミ」sop.
フランセ「甲虫/ムカデ」pf.
ヴィエネル「カタツムリ/アリ/蝶/ホタル」sop.
ランゴー「大蚊/ヤスデ/シバンムシ/蚊」pf.
ブリテン(生誕100年)「バッタ/スズメバチ」ob.
ファイン(生誕100年)「蜘蛛」fl.
マヌーキアン「ハエ」sop.
リムスキーコルサコフ「熊蜂の飛行」fl.&sop.
サンサーンス「テントウムシ/トンボ」sop.

渡辺有里香(ソプラノ)
川北祥子(ピアノ)
ゲスト:
山本葵(フルート)
若木麻有(オーボエ)

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