画家と絵画に寄せてvol.2(カフコンス第52回)2008-06-29

*曲目

ドビュッシー「金色の魚」(映像 第二集 より)*ピアノ
Claude Debussy (1862-1918)
Poissons d'or (1907)

シルヴェストリーニ「オーボエ独奏のための6つの絵」より *オーボエ
Gilles Silvestrini (1961-)
6 tableaux pour hautbois (1984/97)
  Potager et arbres en fleurs, printemps, Pontoise (Pissarro)
   花咲く果樹園、春、ポントワーズ(ピサロ、1877)
  Boulevard des Capucines (Monet)
   カプシーヌ通り(モネ、1873)

プーランク「画家の仕事」*バリトン・ピアノ
Francis Poulenc (1899-1963)
Le travail du peintre (1956)
  Pablo Picasso パブロ・ピカソ
  Marc Chagall マルク・シャガール
  Georges Braque ジョルジュ・ブラック
  Juan Gris フアン・グリス
  Paul Klee パウル・クレー
  Joan Miró ジョアン・ミロ
  Jacques Villon ジャック・ヴィヨン

(シルヴェストリーニ「オーボエ独奏のための6つの絵 より
スペインの踊り(マネ、1862)」)


*出演

日高慧(オーボエ)
藪内俊弥(バリトン)
川北祥子(ピアノ)

おはなし:山口健児(画家)


*プログラムコメント

 音楽が美術作品から着想を得る事は珍しくないが、特定の絵画そのものを描くのは稀ではないだろうか。しかもオーボエ1本でとは、名オーボエ奏者のシルヴェストリーニならではの発想である。奏者にとっては難曲だが、聴き手は印象派の名画の世界とオーボエの妙技を理屈抜きに楽しめる作品だ。
 「画家の仕事」はキュビズムの画家達を題材とした歌曲集。と一言で言ってしまえばそれまでなのだが、始めに画家と作品が存在し、その画家を題材としたエリュアールの詩が存在し、その詩に作曲した歌曲が存在する、そのどれもが他に追従するものではないという面白さ、特に最後にできた歌曲には、その複雑な背景を読み解く面白さがあるのではと思う。(川北)


*画家と作品について(山口健児)/歌詞大意

『オーボエ独奏のための6つの絵』より
「花咲く果樹園、春、ポントワーズ」ピサロ、1877年

印象派の中でも最年長で若き日の巨匠たちの指導的立場も担ったカミーユ・ピサロ(1830〜1903)は穏やかな田舎の風景を好んで描いた。細やかな筆致や点描で表現されたこの絵は、後ろに塗り込まれた建物との対比によって、よりいっそう手前の花の咲いた果樹園の春のおぼろげな空気も感じさせるかのように描かれている。

「カプシーヌ通り」モネ、1873年

印象派を代表するクロード・モネ(1840〜1926)は、時とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯追求し続けた「光の画家」とも言われる。第一回印象派展覧会に出品されたこの作品は、その会場であったナダールのスタジオの2階から見た街を描いたもので、人も風景の一部に溶け込む大通りのざわめきを捉え、色相は寒い時期のパリの色彩の特色を表している。

『画家の仕事』ポール・エリュアール詩
「パブロ・ピカソ」

このレモンを形のない卵白で囲み
この卵白を遠く澄んだ青空で包み
   黒い直線が君からあふれ
あけぼのが君の絵の後ろに

そして無数の壁が崩れる
君の絵の後ろで そして君は見つめる
盲人のように 狂人のように
君は空(くう)に剣を振り上げる

一つの手 なぜ二つ目の手ではいけないのか
なぜ羽根のようにむき出しの口ではいけないのか
なぜ微笑みではなく なぜ涙ではなく
小さい釘が戯れるキャンバスの縁に

影を作ろうとする他人の陽
しかしたった一度のまばたきで諦める

ピカソ(1881〜1973):スペインのアンダルシア地方に生まれ、美術教師の父のもと、幼少から才能を示す。青の時代、バラ色の時代等を経て1907年「アビニョンの娘たち」を制作、ブラックらとキュビスムを創始。分析的キュビスム、総合的キュビスムの時代、新古典主義の時代など生涯を通じて様々な表現を切り開きめまぐるしく作品は変化。数万点にのぼる作品を残す。なかでも1937年スペイン内乱中にドイツ空軍に爆撃された都市ゲルニカを題材とした「ゲルニカ」は歴史的。20世紀最大の画家。

「マルク・シャガール」

ろば 牝牛 雄鶏 馬 ヴァイオリンの皮
歌う男とたった一羽の鳥 敏捷な踊り手とその妻
春にひたるカップル

草の金色 空の鉛色 青い炎が分かつ
健康の 朝露の 血は虹色に輝き 心臓は脈打つ
カップル 初めての反影

そして雪の地下室の中に たわわな葡萄が描く
夜に眠らない 月の唇の顔を

シャガール(1887〜1985):エコール・ド・パリの画家。ユダヤ人の両親のもとロシア(現在のベラルーシ)で生まれる。ペテルブルクの美術学校で学び、1910年パリへ。フォービスム、キュビスムなどの影響を受ける。1914年ベルリンの個展が絶賛されるが、第一次大戦によりロシアに帰国。1923年再びパリに戻る。 第二次大戦中はナチスの迫害を逃れアメリカに渡る。多様な表現が混在する色彩豊かで幻想的な作風が特徴。1964年パリオペラ座の天井画も手がける。

「ジョルジュ・ブラック」

一羽の鳥が飛ぶ 無用のヴェールのように雲を脱ぎ捨て
決して光を恐れず その飛翔に閉じ込め
決して影を持たない

太陽に砕かれた貝殻 森の中の全ての木の葉はうなずく
うなずくことしか知らず 全ての問いに同じ答え
そして露がそのうなずきの奥を流れる

巧みな眼の男が愛の空を描き 数々の不思議を集める
森の中の木の葉や 翼の中の鳥や
眠りの中の人間のような

ブラック(1882〜1963):フランスの画家。パリ近郊に生まれる。マチスの影響でフォービスムの作品を制作。その後セザンヌの影響を受けピカソとともにキュビスムを創始。1907年の巨大な立方体が描かれた「レスタックの家々」はキュビスムの由来となった。分析的、総合的キュビスムを試みた後に、第一次大戦後は叙情的で知性的に構成されたポスト・キュビスムの独自の画風を確立した。

「フアン・グリス」

昼に感謝を 夜に注意を
世界の半分は優しく
あと半分は厳しい暗闇

縁どる線に 感謝されない贈り物が
輪郭の美に 限られた空間が
見なれたオブジェのつなぎ目を固める

テーブル ギター 空のグラスが
大地の一角に
夜の冷気の白いキャンバスに

テーブルは静止し
ランプは影を落とし
新聞は半分に破って捨てられ

二度の昼 二度の夜
二つのオブジェ 二重のオブジェ
これまでにないたった一つのアンサンブル

グリス(1887〜1927):スペインで生まれ、1906年パリへ、挿絵画家として出発。ピカソとブラックに影響を受けキュビスムに取り組む。1912年頃には自己の様式を確率。二人がキュビスムから離れた後も、理論的にキュビスムを進め、短い生涯をキュビスム絵画の探求に捧げた。その個性的なキュビスム理論により、禁欲的な色彩で描かれた作品は、幾何学的平面と、ものらしさを尊重した明確な形態との共存を特徴としている。

「パウル・クレー」

宿命の坂道で 旅人は利用する
この日の恵み 雨氷 石のないこと
愛の青い瞳は見つける 彼の季節を
それは大きな星たちの指輪をはめた指に掴まれている

海は海岸に耳を捨てる
砂のくぼみ 美しい犯罪の現場
犠牲者よりも執行人のほうがより辛い
ナイフは予兆 弾丸は涙だ

クレー(1879〜1940):スイスのベルンで音楽教師の父、声楽家の母のもとに生まれ、幼少から絵やヴァイオリンに才能を示す。ドイツのミュンヘンの美術学校で学ぶ。絵画グループ「青騎士」に参加、バウハウスで教鞭をとり新しい絵画運動の一翼を担う。初めは「線」の画家だったが1914年のチュニジア旅行を機に色彩に開眼。豊かな色彩によるファンタジーと確固たる構成を特徴とする独自な作風を確立。

「ジョアン・ミロ」

餌食の太陽 私の頭の囚人
丘を奪え 森を奪え
空はかつてない美しさ
葡萄やとんぼが
それに正確な形を与え
私の一つの動きがそれを消す

最初の日の雲
感覚のない雲 何も許さぬ雲
その種子は燃える
私のまなざしの藁の火の中で
つまり 夜明けにおおわれるには
空は夜と同じくらい純粋でなければならない

ミロ(1893〜1983):スペインのバルセロナに生まれる。帳簿係として働くが神経を病み退社、モンロチで静養し画家を志すことを決心、バルセロナの美術学校で学ぶ。1919年パリに出てピカソなどと交流し、詩人アンドレ・ブルトンと出会う。ミロは原色と線を基調とした抽象的で自由な表現が受け入れられてシュルレアリスト・グループに迎えられた。彫刻や舞台美術、大規模な作品も数多く残している。

「ジャック・ヴィヨン」

かけがえのない生 常にいつくしむ生
禍いや低いモラルにもかかわらず
ゆがんだ星やはびこる灰にもかかわらず
不愉快な熱気や犯罪や 枯れた乳房や
愚かな頭にもかかわらず 滅ぶべき太陽にもかかわらず
死んだ神々にもかかわらず 嘘にもかかわらず
夜明け 地平線 水 鳥 人間 愛
安らかで善良な人間が大地を鎮め
森を照らし 石を輝かせる
そして夜の薔薇と 群集の血を

ヴィヨン(1875〜1963):芸術家デュシャン三兄弟の長男。1894年パリに出て本格的な画業に入るまでは雑誌などに戯画を描いていた。リアリズム、フォービスムを通り、キュビスムの影響を受け1911年に活動に参加。1912年の「セクシオン・ドール」展には未来派に似た時間の流れを感じるキュビスム作品を発表。ステンドグラスのような優しい色調とモザイクのように交差するシャープな色面によって独自の境地を開拓。


*山口健児さんによる当日のおはなし

(川北:最初に演奏しました「金色の魚」はドビュッシーが所有していた日本の蒔絵に着想を得て作曲されたと言われます。これがその蒔絵の写真ですが曲のイメージと多少ギャップがあるかもしれません… しかしドビュッシーはこの蒔絵に「着想を得た」のであって、この鯉を表そうとしたのではないし、表す必要もないわけです。このような例に対して、次の二曲は元になった絵画や画家と密接な関係を持つものですので、美術の専門家のお話を交えて演奏したいと思います。)

 「オーボエ独奏のための6つの絵」は一曲ごとに印象派の画家の一枚の作品から着想を得て作曲されています。元の絵をご覧いただきましょう。一枚目はピサロの作品、ピサロは田舎の風景を好んで描いた画家です。二枚目は対照的に都市パリの風景が描かれています。説明はなくても楽しめると思います。絵もご覧になりながらお聴きください。

ピサロ:花咲く果樹園、春、ポントワーズ(1877)

モネ:カプシーヌ通り(1873)

 「画家の仕事」は先ほどのシルヴェストリーニのように一枚の絵がもとになっているものではなく、エリュアールは画家の何点もの絵を、あるいは画家自身からインスピレーションを受けて詩を書いたようです。とりあげられているのはいずれも20世紀の画家で、ほとんどが1907年頃はじまったキュビスムと関わりがあります。ただキュビスムは当時の芸術や文化の中心のパリで始まり、集まっていた多くの前衛的な画家達に影響を与えましたので、ちょっと大雑把な捉え方かもしれませんが。
 ではキュビスムとそれぞれの画家についてお話ししましょう。キュビスムは、セザンヌの「自然を円筒、球、円錐として捉えなさい」という言葉や、アフリカの仮面美術の影響を受けて、ピカソとブラックがはじめたと言われています。ブラックが窓のない家や円柱のような木がつみあがった風景の作品を発表し、見た評論家が揶揄として「キューブ」という言葉を使ったのがその名前の由来のようです。キュビスムは最初、ものを単純化した形態で捉えた表現から始まり、やがて見た瞬間だけでは見えない多面性や時間性を意識する方向に発展し、サイコロの展開図のように一つの平面に様々な角度からみた面を一緒に表そうとしました。その試みのためかデッサンのように色彩は極力抑えられた表現で、初期の作品はピカソ、ブラックが近くで制作したこともあってか雰囲気はとても似ています。そこにグリスが加わりキュビスムの考え方を学び制作をはじめます。その後シャガールやヴィヨンなども影響を受けてその表現を作品に取り入れています。
 さて今の話だけではイメージがわきにくいと思いますので、彼らの作品を見て頂きながら話をすすめましょう。

ピカソ:夢(1932)/ドラマールの肖像(1937)

 ピカソは、若い幸せそうに目を閉じるマリーテレーズをモデルに描いた「夢」と、「泣く女」のモデルにもなったドラマールを描いた「ドラマールの肖像」を選びました。このドラマールとピカソは、実はこの曲の詩を書いたエリュアールの紹介で知り合ったようです。ピカソはこんな言葉を残しています。「ものを完成することはそれを殺すことである」。生涯変わりつづけた根底にはそんな思いがあったのかもれません。「孤独なしには何も完成されない。私は自分の為に一種の孤独をつくってきた。」という彼の言葉にあるように、創造と孤独と言う彼の長い戦いの中で、この時、つかの間のやすらぎと幸せを彼女に感じていたのかもしれません。

シャガール:パリ・オペラ座の天井画(1964)

 シャガールは皆さんになじみ深いこの絵を選びました。 パリ・オペラ座の天井画です。シャガールもその生涯、フォービズム、キュビスム、未来派など様々な影響を受けて変わって行きました。幾つもの表現が強い色彩の中に共存し、幻想的でストーリーを感じさせるような構成を生んでいるのが彼独特なところです。

ブラック:薄紫のテープルクロス(1936)

 ブラックの作品にはキュビスムを通り過ぎたポスト・キュビスムの作品を選びました。「洗濯船」というアパートでピカソとキュビスムを始めた頃は作品がピカソと似ていましたが、その興味や表現したいもの違いを自覚したのか、激しく情動的な作品を生んで行くピカソに対して、ブラックはキュビスムの流れのパピエコレ(コラージュ)の表現を発展させた叙情的フォルムの色彩構成の、情緒ある作品を残して行っているように思います。この作品はそんな一枚です。

グリス:ギターとコップと果物鉢(1918)

 グリスは独自のキュビスムの理論に基づいて制作されたこの作品を選びました。グリスはピカソ、ブラックとともに早くからキュビスムの運動に加わり、キュビスムを効果的に表す為に解体され犠牲にされた形や色彩を復権させ、そのものらしさを再びキュビスムに取り戻そうと、短い生涯をキュビスムの追求についやしました。グリスはそんな表現への思いを表すようなこんな言葉を残しています。「私は絵画の建築的な側面は数学であり、抽象的な側面だと考えている。私はそれを人間的なものにしたいのだ。セザンヌは壜から円筒を作る。私は円筒を手に入れて、そこから壜を作る。」彼の仕事をよく表した言葉のように思います。

クレー:大通りとわき道(1929)

 クレーはこの作品を選びました。 人間を中心テーマとしたピカソに対し、クレーは人間のみを中心テーマにすることは少なく、宇宙や万物に対する思考を中心的なテーマとして描いています。最初、線の画家だったクレーはチュニジア旅行を機に色彩に目覚めます。クレーにとって戯れることは理論より重要なことで、その自由な幻想と、美と戯れられる喜びが、即興演奏のようにのびのびとした線や透明感のある色彩のバランスを生んできたように思われます。これはそんな透明感あり戯れるような色彩の作品の一枚かと思います。

ミロ:ジョアキン・ゴミスのための壁画(1948)

 ミロはこの作品です。曲を聴いたら白い背景に描かれたこんなイメージが浮かび選びました。この絵の背景の白い地と線の表現はどこか浮世絵などに似ていないでしょうか? 幼少のミロはバルセロナで船乗り達が極東からもたらした日本の版画や、毎週のように通ったカタルーニャ美術館に展示されていた先史時代の洞窟壁画にも親しんでいて、影響も受けたようです。幻想的で頭の中で想像力が爆発したような、あるいは強烈な青空を急に仰ぎ見た時の目眩の中に見えてくる幻惑的なモビールのような、伸びやかで自由な絵画表現を生むきっかけとなったのかもしれません。「芸術家の評価する基準は神々しい火花を発しているかいないか、それだけだ」というミロの言葉はまさにミロの作品達に当てはまる気がします。

ヴィヨン:上昇(1957)

 最後の画家はヴィヨンです。キュビズム初期の単にそのモデルを切り刻んで画面の上に並べ替えたり、対象の外観を描く冷たい表現ではなく、もっと本質的なモデルのもつ生命への深い愛を表そうとしたのかもしれません。その求めるリズムはキュビスムの中でヒントを見いだし、やがて色彩の美しく響き合うステンドグラスを思わせるような手法に発展していたのかもしれません。実際、曲からもそんなイメージを強く受け、選んでみました。

 エリュアールの詩は、その画家の特定の一点の作品ではなく、複数の作品からインスピレーションを得ているようです。また作曲家のプーランクも同じような状況かもしれません。いろいろと画家について話してしまったあとですが、今回取り上げた他にそれぞれの画家の仕事は他にも沢山あります。どうぞ、音楽を聴きながら感じるその画家の像を、紹介した絵にとらわれずに楽しんでください。

マネ:スペインの踊り(1862)

 エドゥアール・マネ(1832~1883)は古典的な主題を現代風の情景の中で表すことを得意としていて、印象派の若い画家達からは先駆者と見なされていました。マネはこのころスペイン舞踏団を描いた作品を沢山残していますが、まだスペインには行ったことはなく、パリでの公演の際に取材して描いたと言われます。画面左奥に背景的に描かれた後ろ姿はスペインへの強い憧れを表しているように思います。