天才とコーヒー / カフノーツ#022003-03-02

カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。


 オーダーメイドで何かしらの作品を作るということは、締切を設定するということに言い換えられないでしょうか? 締切、これがあるために、人はその期限までに猛烈な集中力を発揮することができるし、そのために悩まされることにもなります。締切がないと仕事ができない、という人もいますし、締切がなくてもコツコツと仕事を続けることのできる人もいます。どちらがよいとはいえませんが、締切前の集中力といったら、まるで火事場の馬鹿力。ふだんの能力の限界を軽々と飛び越えてできてしまうところが感動的です。始業式一日前に夏休みの宿題を片づけたことがある人なら、みんなこの感動を知っているのかな?

 さて、音楽家サンサーンスの時代の少し前に亡くなったフランスの文豪に、バルザックがいます。彼は多作で知られていますが、小説家になる前も、その浪費癖を満足させるために、出版、印刷会社経営とさまざまな事業に手を出しては膨大な借金を作り込んでいました。バルザックの凄いところは、実はこの点なのですが、結局自分に事業家としての能力がないと見極めるや、いきなりペン一本で借金返済を目指すという、ある意味博打のような手段にでて、小説家を目指します。しかしこの博打は大成功。自分の生きる「19世紀の現代」を描き切ろうと試みたバルザックの手法は大成功を収めます。

 以降、彼は精力的に作品を産出していくのですが、その彼を支えたのがコーヒーだったようです。コーヒーをガブガブ飲み、毎日平均十二時間ものあいだ執筆に費やしながら、何週間ものあいだ原稿を書き続けたのだとか、二十年間一日五十杯のコーヒーを飲んで執筆したのだとか、さまざまな逸話が流布しています。彼は著作『風俗研究』の中で、「近代興奮剤考」としてのコーヒーについても、自分の体験談および飲み方を取り上げています。ロッシーニがいうところの「コーヒーが効くのは二週間から二十日ぐらい。有難いことにちょうどオペラを一つ仕上げるのにいい期間だ」という話を引用して、バルザック自身もロッシーニに同感、もしくはさらにコーヒーの霊験を引き延ばすことも可能とまでいい放ち、効果的なコーヒーのいれ方にまで話は及びます。さすがにタフな執筆生活を送ったバルザックらしく、ごく少量の水でいれた冷たいままのコーヒーをすきっ腹に飲むのがもっとも効果的と豪語。空腹の胃に染み渡った濃いコーヒーが、「戦場のナポレオン大軍隊の大隊さながらに、観念が行動を起こし、戦闘開始」体制にギアを入れてくれるのだとか。文豪バルザックには、コーヒーはさながら執筆用ガソリンのような存在だったのかもしれません。しかしあまりにも激しいガソリンを無茶に乱用したせいか、借金が片づいてまもなく、まるで戦場のナポレオン軍隊にさらわれるように、バルザックは51歳で亡くなりました。「すべての不摂生は、粘膜を損ない、命を縮める」自分でそう書いた通りの終え方でした。天才のエンジンとしてのコーヒー。やはり我々普通の人は、天才になれなくともいいから、のんびり一休みするためのコーヒーでほっと一息する方がいいような気がします。(カフコンス第2回「フルート/オーボエ/クラリネット/ピアノによる四重奏」プログラム掲載。)

西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。

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