『ファールプレイ』&『ミカド』2001-12-07

映画に登場するオペラ作品の数々をとりあげて、
わかりやすく楽しく紹介するコラムです。
この映画もう一回見直してみよう、オペラっておもしろいんだね、って
少しでも思っていただけると嬉しいです。


映画を見たらオペラも見ようよ
第14回 思いっきり作り話な『ファール・プレイ』と『ミカド』
~巻き込まれ型サスペンスに巻き込まれたオペレッタ

二回にわたってヴェリズモオペラの名作をご紹介しましたが、そもそも「歌う」という行為からして「現実主義」との共存は難しいわけです。『カヴァレリア・ルスティカーナ』『道化師』の最後の語られるセリフもそれを証明していると言えるし、「衣装を着けろ」にしても結局リアルな人間の「歌」を聴きたいのであって、ちっともリアルじゃない結核で死ぬヒロインの歌だって感動的だし、映画にしてもイタリア映画の庶民のリアリズムはもちろんすごいけど、作りモノの楽しさを満喫できるハチャメチャな映画だって名作だと思うのです。

個人的にオペラや映画を見て人生を考えたりするのは苦手(まあオペラで考えさせられることはほとんどないのですが)だし、メッセージ性の高い映画や音楽もあまり好きではありません。何かを訴えることが映画や音楽の一番の使命だとは思わないし、訴える内容が一番重要であるなら、例えば『シンドラーのリスト』を超える作品はないということになりそう。『シンドラー』だって映画として素晴らしいからこそドキュメント映画を超えられるのではないかと思ったりしています。

さて今回ご紹介するのはそんな事と全く無縁な娯楽作『ファール・プレイ』。20年前に作られた、さらに20年前のヒッチコックとさらにその20年前のマルクス兄弟もネタ元にしたコメディで、見知らぬ男からタバコを預かった女性が法王暗殺計画に巻き込まれていく、いわゆる巻き込まれ型サスペンスなのですが、巻き込まれて可哀想なのは彼女よりもクライマックスの銃撃戦の舞台となるオペラハウス。上演されるのは映画に負けずバカバカしいコミックオペラ『ミカド』です。

それでは『ミカド』ストーリーですが、今回は結末を伏せておきます。このハチャメチャがどう都合よくまとまるのかは見てのお楽しみ。ピンク色の箇所が映画に使われたシーンです。(しかし法王を招くのならもう少しマトモな演目のほうがよいのでは…)

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1幕、ティティプ(秩父)の町の侍たちの合唱。そこへ吟遊詩人ナンキプー(実はミカドの皇太子で婚約者カティシャとの結婚から免れるため放浪中)がヤムヤムを訪ねて来る。ヤムヤムと恋に落ちたナンキプーは彼女に後見人のココという婚約者がいたので一度は去ったが、ココが死刑になったと聞いて戻って来たのだ。しかし「ココは死刑を免れたばかりか今では死刑執行長官だ。」と公卿ピシュタシュが説明。そこへヤムヤムが姉妹と登場してナンキプーとの再会を喜ぶが今日はココとの結婚式。ナンキプーはヤムヤムと結ばれないのなら自殺すると嘆くが、「一ヶ月以内に誰かを死刑にしろ」とミカドから命令されているココが「自殺するくらいなら死刑になってくれれば一ヶ月間贅沢をさせてやろう」ともちかけ、ナンキプーも「そのかわりヤムヤムと結婚させてくれ」と交渉成立。そこへ突然カティシャが現れナンキプーに結婚を迫るが、皆は「ナンキプーはヤムヤムと結婚するのだ」とカティシャを無視(「鬼びっくりしゃっくりと」と日本語で合唱)するのでカティシャはミカドに報告に行く。

2幕、ナンキプーとヤムヤムは「一ヶ月後の処刑も一日を一年と思えば三十年の新婚生活」と幸せいっぱいだが「法律では死刑の妻は生き埋め」とわかりまた大騒ぎになる。そこへミカドの行列が到着(「宮さま宮さまお馬の前にひらひらするのは何じゃいな」と日本語で合唱)。ココらティティプの大臣達は「ナンキプーを処刑した」とでっちあげてミカドに報告するが、ナンキプーが実は皇太子とわかり「法律では皇太子殺害犯人には油ゆでの刑」…さてこの結末はいかに?
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「誰かが死ぬと巡り巡って自分も死ななくてはならない運命共同体」というのは喜劇の古典的シチュエーションの一つで、サリヴァンと同時代の作曲家シャブリエのオペレッタ『星』も有名です。『星』はそのドタバタ感と洒落た音楽が絶妙なバランスのフランス的傑作、『ミカド』は(一見バカバカしく聞こえるものの実は)精巧な音楽の中にユーモアとパロディの詰め込まれたイギリス的名作と言えるでしょう。『ファール・プレイ』では特にバカバカしい箇所が映画音楽にも使われて何とも楽しく、マンガチックな舞台シーンのエセ日本風演出も笑えます。(映画にも日本人ネタあり。でも「コジャックバンバン」は今の若いヒトには通じないかも。)

それにしてもこの見事なカップリング、こういう映画とオペラのコーディネートはどんな風に行なわれるのでしょう。ちょうどシーズンに上演予定があったのか、道具も壊しちゃうからオペラの最終日終わってから撮影するのか、いやA級映画にそんな心配はいらないのか。(ちなみに映画ではサンフランシスコが舞台ですが演奏のクレジットはニューヨーク・シティ・オペラ。このへんも何かありそう?)『プリティ・ウーマン』や『月の輝く夜に』でさえオペラの舞台はあまり見せずにごまかしていたのに、『ファール・プレイ』はいい意味で無益なお話に贅沢にオペラを持ち込むA級の余裕とセンスがあって、娯楽超大作でありながらB級テイストなところが私のお気に入り。たまには絶対人生考えず泣かずに見られるこんな映画やコミックオペラもいかがですか?

ところでオペラハウスでのドタバタのネタ元と言われているのは『マルクス兄弟オペラは踊る』(1935米)。マルクス兄弟は日本をネタにしたTVのコメディ番組で『ミカド』を使っていたとのことですが、映画での演目は大真面目なヴェルディの『トロヴァトーレ』で、シリアスにやってる所へマルクス兄弟がからんでブチ壊します。またマイク・リー監督の最近の作品『トプシー・ターヴィー』では、なんと『ミカド』作曲中のギルバート&サリヴァンコンビが描かれているそうで、日本でも是非公開してほしいものです。

次回はウディ・アレン・フリークで知られるフル-ト奏者、斎藤和志氏にお話を伺います。お楽しみに。

◇『ファール・プレイ』FOUL PLAY(1978米)
監督:コリン・ヒギンス
音楽:チャールズ・フォックス
出演:ゴールディ・ホーン/チェヴィー・チェイス

◆『ミカド』THE MIKADO(1885初演)全2幕
作曲:サリヴァン A.SULLIVAN(1842-1900)
台本:ギルバート

川北祥子(stravinsky ensemble)
東京芸術大学大学院修了、「トムとジェリー」とB級映画とパンダを愛するピアノ奏者。
「トムとジェリー」からはクラシック音楽の神髄を、
B級映画からはお金がなくても面白いコトに挑戦する心意気を学ぶ。
パンダからは…?


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*オマケ話(gingapanda掲載の連動コラム)
シンバル

『ファールプレイ』にしてもネタ元の『知りすぎていた男』にしても、どうしてシンバルの音と同時に暗殺なのでしょう?シンバル待ってなければ暗殺成功してたかもしれないのにね。殺し屋も音楽わからないといけないから大変。でも実はわかってなくてシンバル奏者の動きを待ってるだけかも…そこで提案。殺し屋を見つけたらシンバル奏者を吹き矢か何かで倒しちゃいましょう。シンバルが鳴らなければ暗殺も実行されません。シンバル奏者は長い休符の間くまなく会場をチェックして、殺し屋を見つけたら鳴らすのをやめること。これで暗殺は激減するはず!