la chanson la plus charmante ~愛の歌~ ― 1998-03-11
いちばん美しい歌は愛の歌(ヴィクトル・ユゴー)
stravinsky ensemble サロンコンサート 7
於:榎坂スタジオ
*曲目
レハール:「ルクセンブルグ伯爵」より
Lehár: "Der Graf von Luxemburg"
Ich bin verliebt 恋に落ちてしまったのだ
(吉川/男声,fl,cl)
同「パガニーニ」より
"Paganini"
Se le donne vuoi baciar 女性は恋とキスのために
同「ほほえみの国」より
"Das Land des Lächelns"
Dein ist mein ganzes Herz 君はわが心のすべて
(高田)
ヴォルフ:恋人に/狩人
Wolf: An die Geliebte / Der Jäger
シューベルト:私の挨拶を
Schubert: Sei mir gegrüsst
(宮本)
モーツァルト:「魔笛」より
Mozart: "Die Zauberflöte"
Dies Bildnis ist bezaubernd schön 何と美しい絵姿
同「ドン・ジョヴァンニ」より
"Don Giovanni"
Deh vieni alla finestra 窓辺においで
(斎藤/大成)
デンツァ:妖精の瞳
Denza: Occhi di fata
チマーラ:ストルネッロ
Cimara: Stornello
(高田)
ラヴェル:ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ
Ravel: Don Quichotte à Dulcinée
1.Chanson romanesque 空想的な歌
2.Chanson épique 叙事詩ふうの歌
3.Chanson à boire 酒の歌
(吉川)
ロドリーゴ:ある娘の名によるエール・ド・バレエ
Rodrigo: Air de ballet sur le nom d'une fille
(川北)
同:「四つの愛のマドリガル」より
"4 Madrigales amatorios"
¿De dónde venis, amore? 恋はどこから来るの?
De los álamos vengo, madre ポプラの林へ行って来た
(藤永)
ブラーガ:セレナータ*
Brage: La Serenata
ガスタルドン:禁じられた歌
Gastaldon: Musica proibita
(浦野/*斎藤)
ドビュッシー:愛しあって眠ろう
Debussy: Aimons-nous et dormons
サンサーンス:愛しあおう
Saint-Saëns: imons-nous
プーランク:愛の小径
Poulenc: Les chemins de l'amour
サティ:おまえが欲しい
Satie: Je te veux
(泉)
バーンスタイン:最愛の夫へ
Bernstein: To my dear and loving husband
(藤永/浦野/泉)
同:後奏曲
Nachspiel
(全員)
*出演
泉地香子 ソプラノ
浦野妙子 ソプラノ
大成雅志 クラリネット
川北祥子 ピアノ
斎藤和志 フルート
高田正人 テノール
藤永和美 ソプラノ
宮本益光 バリトン
吉川誠二 バリトン
*解説
レハール:
恋におちてしまったのだ(『ルクセンブルグ伯爵』より)
女性は恋とキスのために(『パガニーニ』より)
君はわが心のすべて(『ほほえみの国』より)
本日最初にお聴きいただくのは、今年没後50年にあたるフランツ・レハールのオペレッタからの3曲のアリアです。
<恋におちてしまったのだ>は若いプリマドンナに熱をあげ浮かれている侯爵のアリア。「恋におちてしまった」と16回も繰り返しながら、「自分でもわからない、もう頭までいかれてしまった。心よ長い眠りから覚めよ、この年寄りにもまた恋の季節が巡ってきたのだ!」と歌うオペレッタならではの楽しいアリアですが、ちなみにその後プリマドンナは主役テノールと結ばれます。<女性は恋とキスのために><君はわが心のすべて>の2曲は主役テノールの正統派アリア。「キスするときに気をつけることはただ一つ、恐れないこと。だって唇はキスのためにつくられたのだから。」「私の心のすべては君のものだ。太陽がなければ花が枯れてしまうように、君なしでは僕は生きてゆけない。だから愛していると言っておくれ。」
ヴォルフ:恋人に/狩人
シューベルト:私の挨拶を
フーゴー・ヴォルフはドイツ歌曲史上において、ブラームスにつづく重要な作曲家と言える。彼は40数年の短い生涯の間に300曲もの歌曲を創造している。その特徴としては、人間のあらゆる局面が、さまざまな手法にて表出されていることにある。また一人の詩人に集中して作曲活動を行うという特徴も見逃せない。今回取り上げた<恋人に>と<狩人>はメーリケの詩によるもので、前者には宇宙的な恍惚感が、また後者には諧謔性が見事織り込まれ、ヴォルフの人間的なもの(今回は愛)に対する着眼の豊かさをうかがうことができる。
シューベルトの<私の挨拶を>はリュッケルトの詩による。リュッケルトはシューベルト以後の作曲家にとって格好の触発源となったが、シューベルトがこの<私の挨拶を>を含む5曲の作品しか創造していないことは興味深い。創造力豊かな言葉が、直情的な旋律に乗って進行する様は、時代が流れても変わることのない人間の愛の本質をくすぐられるような気がする。ちなみに原題を直訳すると「私から挨拶をされなさい(うけよ)!」となる。この表現は現在ドイツ語において、もはや過去のものであり、文語体のような存在である。ドイツ人恋人をお求めの方はご注意下さい。
モーツァルト:
何と美しい絵姿(『魔笛』より)
窓辺においで(『ドン・ジョヴァンニ』より)
タミーノのアリアとドン・ジョヴァンニのセレナードを本日はフルートとクラリネットの二重奏で演奏します。この編曲は二百年前から残るもので、蓄音機さえない時代に管楽器二本だけでオペラの名旋律が楽しめたコンパクトさと同時に、シンプルな音に想像をかきたてられる所がまた魅力と言えます。モーツァルトの新作オペラが流行歌であり、貴族達がおかかえの楽団に演奏させて楽しんだ、そんな優雅な時代に思いを馳せるもよし、現代の豪華な演奏を思い描くもよし。お楽しみ下さい。
デンツァ:妖精の瞳
チマーラ:ストルネッロ
「おお、美しい妖精の瞳、何と不思議なその深く美しい瞳、あなたは私から若い青春の平安を奪っていった。私の捧げた情熱の若い血のかわりにあなたはそれ以上のもの(愛)を与えてくれるでしょうか?」「おまえのバラ色の唇でお前の心の香気である優しい接吻をしてくれ、そして新しい人生の情熱の輝きをこの乾いた心に与えてくれ!」イタリアの愛の歌に説明は不要。
ラヴェル:ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ
1.空想的な歌 2.叙事詩ふうの歌 3.酒の歌
「風車と戦うドン・キホーテ」を子供の頃絵本などで見たことのある人は多いと思う。風車を巨人と思いこみ戦いを挑む、ドン・キホーテはそんな人である。この曲に出てくるドゥルシネア姫も、彼の想像が創りあげた理想の女性である。純粋で誇り高く空想的で破天荒な彼は、ちょっといきすぎた「Chevalier-dieu」(神のごとき騎士、彼自身がそう言っている)なのだ。
この3曲はそんな彼をよくあらわしている。第1曲<空想的な歌>は、「もしあなたがそう言うなら...という言葉で始まる4節から成り、それに続けて「地球を停めてみせましょう」「夜の幕を切りさいてみせましょう」「夜空に星をいっぱいちりばめてみせましょう」と豪語し、愛の為には死をもいとわないと主張する。第2曲<叙事詩ふうの歌>では聖ミシェルと聖ジョルジュに向けて、あなた方と見まがうばかりのうつくしい姫に祝福を!と祈る。第3曲<酒の歌>では、酒の力を借りたドン・キホーテにもはや恐い者などなにもない。陽気に彼の「騎士道」をつらぬくのである。
ロドリーゴ:
ある娘の名によるエール・ド・バレエ
恋はどこから来るの?/ポプラの林へ行ってきた
ロドリーゴは今世紀スペインの作曲家で「アランフェス協奏曲」などのギター曲が代表作とされる一方、ピアノ曲、歌曲の分野でもスペインの民俗性とフランス印象派の影響による独特の世界を築いている。
<ある娘の名によるエール・ド・バレエ>は新年の贈り物として婚約者に捧げられた小さなピアノ曲で、最初の3小節にのちの夫人でピアニストのビクトリア・カミの名前が読み込まれ、そのモティーフが終始愛情を持って奏される。
「愛はどこから来るのか教えてちょうだい、私は充分に大人よ」と恋を知らない少女がコケティッシュに陽気に問う<恋はどこから来るの>、「セビリアの風にそよぐポプラの林で恋人に逢って来たよ」と嬉しさいっぱいに母親に打ち明ける<ポプラの林に行って来た>は、16世紀のスペイン古謡を近代和声で再構成した「4つの愛のマドリガル」の第3、4曲。
ブラーガ:セレナータ
ガスタルドン:禁じられた歌
セレナータとはsera=「夕べ」から、男性が思慕する女性の家の窓辺で敬愛のしるしとして夕暮れに奏する音楽を指すが、この2曲はそのセレナータを聴いた娘の歌。本日の演奏では1曲目のセレナータのメロディーはフルートで奏される。
<セレナータ>「お母さん、私の目を覚ます優しい歌声が聞こえてくるわ。どこから聞こえてくるのかしら。」「静かにしなさい。私には何も聞こえませんよ。それは幻惑なのですよ。」「でもね、お母さん、私には天使の歌声が聞こえてくるの。楽しげなあのメロディーが私を呼んでいるわ。お母さんおやすみ、私はあの声の方に行きます。」
<禁じられた歌>夜毎私のバルコニーの下であの美しい青年が愛の歌を繰り返した。おお、あの旋律は何と甘美で美しく私を魅了することか。母は私があの歌を歌うことを禁じるけれど私は私の心を震わせるあの歌を歌いたい。「君の黒い髪と唇と厳しいまなこに口づけしたい。僕の宝よ、君と一緒に死にたい。君の胸に抱き締めて愛の陶酔を私に味わわせてほしい...」
ドビュッシー:愛しあって眠ろう
サンサーンス:愛しあおう
プーランク:愛の小径
サティ:おまえが欲しい
<愛しあって眠ろう><愛しあおう>はバンヴィルの同一の詩。「愛しあって眠ろう、波も嵐も太陽も風も構いはしない、愛は神々と死よりももっと強いから。二つの花のように愛する二人の唇を合わせ、接吻の中で死を滅ぼしてしまおう。」というまあなんともたいそう大仰な詩に、19歳(!)のドビュッシーと56歳のサンサーンスが何を読み取ったのか。
<愛の小径><おまえが欲しい>はそれぞれ、プーランクが女優イヴォンヌ・プランタンのために、サティがカフェ・コンセールのために書いた、ほとんどシャンソンといった趣の作品。「愛の小径、私はいつもそれを探しているのです。思い出の中のあなたの声はもう聞こえません。絶望、回想、初めての日、そして素晴らしい愛の小径!」「愛する人よ、私を恋人にして下さい。理性から遠ざかり悲しみを越えて、この愛のひと時に息づきましょう。それこそが私たちの幸せになるでしょう!私はあなたが大好きです!」という詩がともにワルツにのって歌われる。
バーンスタイン:最愛の夫へ/後奏曲
<最愛の夫へ>「二人は一つとはまさに私達のこと、妻に愛される夫とはまさにあなたのこと、夫と共にいて幸せな妻とはまさに私のこと、誰も私にはかなわない。あなたの愛は何よりも尊く、私の愛は何にも消せない、あなたの愛は何をもっても返せないほどのもの、だから私は天に祈る。生きていく限り私達は愛しあい、死んでからも二人は永遠に生きていくのだ。」アメリカの詩を集めた歌曲集「ソングフェスト」に収められ、詩はアメリカ最初の女流詩人と言われるアン・ブラッドストリート(1650年頃)のもの。
<後奏曲>は二重唱曲集「アリアとバルカロール」の終曲。自ら詞も多く手がけたバーンスタインが、現代アメリカの結婚生活をテーマとするこの曲集をあえて言葉を用いずに締めくくったことに倣い、本日の演奏会もこの曲を終曲といたします。
stravinsky ensemble サロンコンサート 7
於:榎坂スタジオ
*曲目
レハール:「ルクセンブルグ伯爵」より
Lehár: "Der Graf von Luxemburg"
Ich bin verliebt 恋に落ちてしまったのだ
(吉川/男声,fl,cl)
同「パガニーニ」より
"Paganini"
Se le donne vuoi baciar 女性は恋とキスのために
同「ほほえみの国」より
"Das Land des Lächelns"
Dein ist mein ganzes Herz 君はわが心のすべて
(高田)
ヴォルフ:恋人に/狩人
Wolf: An die Geliebte / Der Jäger
シューベルト:私の挨拶を
Schubert: Sei mir gegrüsst
(宮本)
モーツァルト:「魔笛」より
Mozart: "Die Zauberflöte"
Dies Bildnis ist bezaubernd schön 何と美しい絵姿
同「ドン・ジョヴァンニ」より
"Don Giovanni"
Deh vieni alla finestra 窓辺においで
(斎藤/大成)
デンツァ:妖精の瞳
Denza: Occhi di fata
チマーラ:ストルネッロ
Cimara: Stornello
(高田)
ラヴェル:ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ
Ravel: Don Quichotte à Dulcinée
1.Chanson romanesque 空想的な歌
2.Chanson épique 叙事詩ふうの歌
3.Chanson à boire 酒の歌
(吉川)
ロドリーゴ:ある娘の名によるエール・ド・バレエ
Rodrigo: Air de ballet sur le nom d'une fille
(川北)
同:「四つの愛のマドリガル」より
"4 Madrigales amatorios"
¿De dónde venis, amore? 恋はどこから来るの?
De los álamos vengo, madre ポプラの林へ行って来た
(藤永)
ブラーガ:セレナータ*
Brage: La Serenata
ガスタルドン:禁じられた歌
Gastaldon: Musica proibita
(浦野/*斎藤)
ドビュッシー:愛しあって眠ろう
Debussy: Aimons-nous et dormons
サンサーンス:愛しあおう
Saint-Saëns: imons-nous
プーランク:愛の小径
Poulenc: Les chemins de l'amour
サティ:おまえが欲しい
Satie: Je te veux
(泉)
バーンスタイン:最愛の夫へ
Bernstein: To my dear and loving husband
(藤永/浦野/泉)
同:後奏曲
Nachspiel
(全員)
*出演
泉地香子 ソプラノ
浦野妙子 ソプラノ
大成雅志 クラリネット
川北祥子 ピアノ
斎藤和志 フルート
高田正人 テノール
藤永和美 ソプラノ
宮本益光 バリトン
吉川誠二 バリトン
*解説
レハール:
恋におちてしまったのだ(『ルクセンブルグ伯爵』より)
女性は恋とキスのために(『パガニーニ』より)
君はわが心のすべて(『ほほえみの国』より)
本日最初にお聴きいただくのは、今年没後50年にあたるフランツ・レハールのオペレッタからの3曲のアリアです。
<恋におちてしまったのだ>は若いプリマドンナに熱をあげ浮かれている侯爵のアリア。「恋におちてしまった」と16回も繰り返しながら、「自分でもわからない、もう頭までいかれてしまった。心よ長い眠りから覚めよ、この年寄りにもまた恋の季節が巡ってきたのだ!」と歌うオペレッタならではの楽しいアリアですが、ちなみにその後プリマドンナは主役テノールと結ばれます。<女性は恋とキスのために><君はわが心のすべて>の2曲は主役テノールの正統派アリア。「キスするときに気をつけることはただ一つ、恐れないこと。だって唇はキスのためにつくられたのだから。」「私の心のすべては君のものだ。太陽がなければ花が枯れてしまうように、君なしでは僕は生きてゆけない。だから愛していると言っておくれ。」
ヴォルフ:恋人に/狩人
シューベルト:私の挨拶を
フーゴー・ヴォルフはドイツ歌曲史上において、ブラームスにつづく重要な作曲家と言える。彼は40数年の短い生涯の間に300曲もの歌曲を創造している。その特徴としては、人間のあらゆる局面が、さまざまな手法にて表出されていることにある。また一人の詩人に集中して作曲活動を行うという特徴も見逃せない。今回取り上げた<恋人に>と<狩人>はメーリケの詩によるもので、前者には宇宙的な恍惚感が、また後者には諧謔性が見事織り込まれ、ヴォルフの人間的なもの(今回は愛)に対する着眼の豊かさをうかがうことができる。
シューベルトの<私の挨拶を>はリュッケルトの詩による。リュッケルトはシューベルト以後の作曲家にとって格好の触発源となったが、シューベルトがこの<私の挨拶を>を含む5曲の作品しか創造していないことは興味深い。創造力豊かな言葉が、直情的な旋律に乗って進行する様は、時代が流れても変わることのない人間の愛の本質をくすぐられるような気がする。ちなみに原題を直訳すると「私から挨拶をされなさい(うけよ)!」となる。この表現は現在ドイツ語において、もはや過去のものであり、文語体のような存在である。ドイツ人恋人をお求めの方はご注意下さい。
モーツァルト:
何と美しい絵姿(『魔笛』より)
窓辺においで(『ドン・ジョヴァンニ』より)
タミーノのアリアとドン・ジョヴァンニのセレナードを本日はフルートとクラリネットの二重奏で演奏します。この編曲は二百年前から残るもので、蓄音機さえない時代に管楽器二本だけでオペラの名旋律が楽しめたコンパクトさと同時に、シンプルな音に想像をかきたてられる所がまた魅力と言えます。モーツァルトの新作オペラが流行歌であり、貴族達がおかかえの楽団に演奏させて楽しんだ、そんな優雅な時代に思いを馳せるもよし、現代の豪華な演奏を思い描くもよし。お楽しみ下さい。
デンツァ:妖精の瞳
チマーラ:ストルネッロ
「おお、美しい妖精の瞳、何と不思議なその深く美しい瞳、あなたは私から若い青春の平安を奪っていった。私の捧げた情熱の若い血のかわりにあなたはそれ以上のもの(愛)を与えてくれるでしょうか?」「おまえのバラ色の唇でお前の心の香気である優しい接吻をしてくれ、そして新しい人生の情熱の輝きをこの乾いた心に与えてくれ!」イタリアの愛の歌に説明は不要。
ラヴェル:ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ
1.空想的な歌 2.叙事詩ふうの歌 3.酒の歌
「風車と戦うドン・キホーテ」を子供の頃絵本などで見たことのある人は多いと思う。風車を巨人と思いこみ戦いを挑む、ドン・キホーテはそんな人である。この曲に出てくるドゥルシネア姫も、彼の想像が創りあげた理想の女性である。純粋で誇り高く空想的で破天荒な彼は、ちょっといきすぎた「Chevalier-dieu」(神のごとき騎士、彼自身がそう言っている)なのだ。
この3曲はそんな彼をよくあらわしている。第1曲<空想的な歌>は、「もしあなたがそう言うなら...という言葉で始まる4節から成り、それに続けて「地球を停めてみせましょう」「夜の幕を切りさいてみせましょう」「夜空に星をいっぱいちりばめてみせましょう」と豪語し、愛の為には死をもいとわないと主張する。第2曲<叙事詩ふうの歌>では聖ミシェルと聖ジョルジュに向けて、あなた方と見まがうばかりのうつくしい姫に祝福を!と祈る。第3曲<酒の歌>では、酒の力を借りたドン・キホーテにもはや恐い者などなにもない。陽気に彼の「騎士道」をつらぬくのである。
ロドリーゴ:
ある娘の名によるエール・ド・バレエ
恋はどこから来るの?/ポプラの林へ行ってきた
ロドリーゴは今世紀スペインの作曲家で「アランフェス協奏曲」などのギター曲が代表作とされる一方、ピアノ曲、歌曲の分野でもスペインの民俗性とフランス印象派の影響による独特の世界を築いている。
<ある娘の名によるエール・ド・バレエ>は新年の贈り物として婚約者に捧げられた小さなピアノ曲で、最初の3小節にのちの夫人でピアニストのビクトリア・カミの名前が読み込まれ、そのモティーフが終始愛情を持って奏される。
「愛はどこから来るのか教えてちょうだい、私は充分に大人よ」と恋を知らない少女がコケティッシュに陽気に問う<恋はどこから来るの>、「セビリアの風にそよぐポプラの林で恋人に逢って来たよ」と嬉しさいっぱいに母親に打ち明ける<ポプラの林に行って来た>は、16世紀のスペイン古謡を近代和声で再構成した「4つの愛のマドリガル」の第3、4曲。
ブラーガ:セレナータ
ガスタルドン:禁じられた歌
セレナータとはsera=「夕べ」から、男性が思慕する女性の家の窓辺で敬愛のしるしとして夕暮れに奏する音楽を指すが、この2曲はそのセレナータを聴いた娘の歌。本日の演奏では1曲目のセレナータのメロディーはフルートで奏される。
<セレナータ>「お母さん、私の目を覚ます優しい歌声が聞こえてくるわ。どこから聞こえてくるのかしら。」「静かにしなさい。私には何も聞こえませんよ。それは幻惑なのですよ。」「でもね、お母さん、私には天使の歌声が聞こえてくるの。楽しげなあのメロディーが私を呼んでいるわ。お母さんおやすみ、私はあの声の方に行きます。」
<禁じられた歌>夜毎私のバルコニーの下であの美しい青年が愛の歌を繰り返した。おお、あの旋律は何と甘美で美しく私を魅了することか。母は私があの歌を歌うことを禁じるけれど私は私の心を震わせるあの歌を歌いたい。「君の黒い髪と唇と厳しいまなこに口づけしたい。僕の宝よ、君と一緒に死にたい。君の胸に抱き締めて愛の陶酔を私に味わわせてほしい...」
ドビュッシー:愛しあって眠ろう
サンサーンス:愛しあおう
プーランク:愛の小径
サティ:おまえが欲しい
<愛しあって眠ろう><愛しあおう>はバンヴィルの同一の詩。「愛しあって眠ろう、波も嵐も太陽も風も構いはしない、愛は神々と死よりももっと強いから。二つの花のように愛する二人の唇を合わせ、接吻の中で死を滅ぼしてしまおう。」というまあなんともたいそう大仰な詩に、19歳(!)のドビュッシーと56歳のサンサーンスが何を読み取ったのか。
<愛の小径><おまえが欲しい>はそれぞれ、プーランクが女優イヴォンヌ・プランタンのために、サティがカフェ・コンセールのために書いた、ほとんどシャンソンといった趣の作品。「愛の小径、私はいつもそれを探しているのです。思い出の中のあなたの声はもう聞こえません。絶望、回想、初めての日、そして素晴らしい愛の小径!」「愛する人よ、私を恋人にして下さい。理性から遠ざかり悲しみを越えて、この愛のひと時に息づきましょう。それこそが私たちの幸せになるでしょう!私はあなたが大好きです!」という詩がともにワルツにのって歌われる。
バーンスタイン:最愛の夫へ/後奏曲
<最愛の夫へ>「二人は一つとはまさに私達のこと、妻に愛される夫とはまさにあなたのこと、夫と共にいて幸せな妻とはまさに私のこと、誰も私にはかなわない。あなたの愛は何よりも尊く、私の愛は何にも消せない、あなたの愛は何をもっても返せないほどのもの、だから私は天に祈る。生きていく限り私達は愛しあい、死んでからも二人は永遠に生きていくのだ。」アメリカの詩を集めた歌曲集「ソングフェスト」に収められ、詩はアメリカ最初の女流詩人と言われるアン・ブラッドストリート(1650年頃)のもの。
<後奏曲>は二重唱曲集「アリアとバルカロール」の終曲。自ら詞も多く手がけたバーンスタインが、現代アメリカの結婚生活をテーマとするこの曲集をあえて言葉を用いずに締めくくったことに倣い、本日の演奏会もこの曲を終曲といたします。
les songes des oiseaux ~鳥の夢~ ― 1997-12-27
小鳥たちの声を聞き給え 彼らは巨匠である(ポール・デュカス)
stravinsky ensemble サロンコンサート 6
於:ハーモニーホール
協賛:ハーモニースクエア管理
*曲目
メシアン:むなじろひばり(鳥のカタログ より)pf.
Olivier MESSIAEN (1908-92)
L'alouette calandrelle ("Catalogue d'oiseaux" 1956-8)
同:黒つぐみ fl.pf.
Le merle noir (1951)
サンサーンス:うぐいすとばら(パリザティス より)sop.pf.
Camille SAINT-SAËNS (1835-1921)
Le rossignol et la rose ("Parysatis" 1902)
ベイツ:鳥たちに贈る歌 sop.pf.
Louis BEYDTS (1895-1953)
Chansons pour les oiseaux (1948)
1.La colombe poignardée 傷ついた鳩
2.La petit pigeon bleu 小さな青い鳩
3.L'oiseau bleu 青い鳥
4.Le petit serin en cage つかまったカナリア
吉松隆:デジタルバード組曲 fl.pf.
Takashi YOSHIMATSU (1953-)
Digital bird suite (1982)
1.Bird-phobia 鳥恐怖症
2.A bird in the twilight 夕暮れの鳥
3.Twitter machine さえずり機械
4.A bird in the noon 真昼の鳥
5.Bird circuit 鳥回路
エマニュエル:田園のソナチネ pf.
Maurice EMMANUEL (1862-1938)
Sonatine pastorale (1897)
1.La caille うずら
2.Le rossignol うぐいす
3.Le coucou かっこう
ルーセル:ロンサールの2つの詩 sop.fl.
Albert ROUSSEL (1869-1937)
Deux poèmes de Ronsard (1924)
1.Rossignol mon mignon... 私の愛しいうぐいすよ
2.Ciel, aer et vens... 空、大気、風
ヘッド:鳥の歌 sop.fl.pf.
Michael HEAD (1900-76)
Bird-song
encore
サンサーンス:見えない笛 (1885) sop.fl.pf.
*出演
砂畑直子 ソプラノ
斎藤和志 フルート
川北祥子 ピアノ
*歌詞大意
鳥たちに贈る歌 ポール・フォール
1 傷ついた鳩
もし神が太陽と地球を作らなかったら、
この世には悲しみも金髪の彼女もなかった。
苦悩も、赤い血も、最愛の女も。
傷ついた鳩もいなかった。
もし神が月と嵐を作らなかったら、
優しい顔に流れる涙も、
残酷なナイフも、最愛の女も...
傷ついた鳩もいなかった...
もし神がこの日々を作らなかったら、
この世には愛はなく、わたしの愛もなかった!
傷ついた鳩もいなく、
そして、ああ!最愛の女も!
2 小さな青い鳩
青い小さな鳩になりたい、
あなたの小さな屋根の上で。
お皿のカタカタいう音や、
火にくべる松かさの音を聞くために。
すてきな物語も聞くために、
あなたの子供たちが毎晩聞く物語。
話すのはあなた、私は幸せ、
神様のお話を聞く天使のように。
そう、楽園のすてきな物語、
一羽の鳥がもう一羽を愛するとき、
樹木も、魚たちも、
オークの木も、鯉も、セキレイも、
松も、リスも、
そよ風も、葦も、バラも、
水の上にかかる虹も、
露も、そして二人の人間も...
あなたの小さな屋根の上で、
青い小さな鳩になりたい。
小さな屋根のわらの中で、私は幸せ、
神様のお話を聞く天使のように。
3 青い鳥
(女神や妖精の名前が並べられている)
4 つかまったカナリア
小さな黄色いカナリアがネコとネズミたちに
えさを分けてと言いました。
ネコのミスティグリじいさん、
カナリアをがまんできるのかしら?
焼網みたいな鬚のミシェルばあさんのネコは
ネズミたちに手をかしてやりました。
ミスティグリおじさん、
ボクを殺すつもりなの?
ネズミたちにパリパリかじられて
カナリアちゃんは天国行きさ。
そしてそれからネコさまが
みんなを食べるのさ。ミャーオ!
でも聞いてびっくり、
そのあとネコたちもみーんな
大食漢の怪物ルストゥクルが
パリパリ食べちゃったんだとさ!
ロンサールの2つの詩 ピエール・ド・ロンサール
1 私の愛しいうぐいすよ
私の愛しいうぐいすよ、この柳の植え込みで
一人思いのまま枝から枝へと飛びまわり、
いつも口ずさまねばならない歌を
歌いながら通る私と競って歌っておくれ。
私たちは二人してため息をつく、
あなたをとても愛する人の好意を
あなたの甘い声は魅きつけようとしている、
私の心にこれほど苦い傷をつけた美しさを
私は悲しみ悔やんでいる。
しかしうぐいすよ、
私たちには一つ違っているところがある。
あなたは愛され、私はそうではない、
たとえ二人が同じような歌を歌っていても。
あなたは甘い声で愛する人を酔わせるけれど
私の愛する人は私の歌を軽蔑し
聞こえないように耳をふさいでしまう。
2 空、大気、風
空、大気、風、平原、はげ山、
岐れた丘、緑の森、曲がった岸、波うつ泉、
雑木林、緑の林、半分開いた苔むす洞窟、
牧草地、つぼみ、花、露にぬれた草、
ぶどう畑、亜麻色の浜辺、
沼地、山脈、そして私の悲しい詩よ、
旅立ちにあたり心配と憤りにやつれ、
近く遠くに私を動揺させるこの美しい
景色の前には言えなかった別れの言葉を、
お願いだから、空、大気、風、山、平原、
雑木林、森、岸、泉、洞窟、牧草地、花よ、
私の代わりに伝えておくれ。
鳥の歌 マージョリー・レイマント
秋空のように曇った悲しい気分で
私は暗い森をさまよう。
すると苔のむしたねじれた枝から
コマドリの澄んだ高い歌声が聞こえる。
こんなに甘く。
湿って寒い波打ち際で
氷のように冷たい泡の指先が
まわりを静かに渦巻く中
灰色のシギは嘆き悲しみ叫ぶ。
こんなにさびしそうに。
四月の朝のうすい桜草の光が
窓越しにやわらかくさし込む。
春のさわやかな夜明けに
私の心は呼び起こされる。
生き返ったいばらの茂みで
クロウタドリが誘うから。
こんなに楽しそうに。
今この香りたつ夏の夜に
私は我を忘れ立ち止まる。
サヨナキドリが頭上でさえずり
純粋な喜びの魔法をかけるから。
こんなに嬉しそうに。
*紹介記事
ペット産業情報紙「ペットジャーナル」(商報社発行)でこの演奏会が紹介されました。
stravinsky ensemble サロンコンサート 6
於:ハーモニーホール
協賛:ハーモニースクエア管理
*曲目
メシアン:むなじろひばり(鳥のカタログ より)pf.
Olivier MESSIAEN (1908-92)
L'alouette calandrelle ("Catalogue d'oiseaux" 1956-8)
同:黒つぐみ fl.pf.
Le merle noir (1951)
サンサーンス:うぐいすとばら(パリザティス より)sop.pf.
Camille SAINT-SAËNS (1835-1921)
Le rossignol et la rose ("Parysatis" 1902)
ベイツ:鳥たちに贈る歌 sop.pf.
Louis BEYDTS (1895-1953)
Chansons pour les oiseaux (1948)
1.La colombe poignardée 傷ついた鳩
2.La petit pigeon bleu 小さな青い鳩
3.L'oiseau bleu 青い鳥
4.Le petit serin en cage つかまったカナリア
吉松隆:デジタルバード組曲 fl.pf.
Takashi YOSHIMATSU (1953-)
Digital bird suite (1982)
1.Bird-phobia 鳥恐怖症
2.A bird in the twilight 夕暮れの鳥
3.Twitter machine さえずり機械
4.A bird in the noon 真昼の鳥
5.Bird circuit 鳥回路
エマニュエル:田園のソナチネ pf.
Maurice EMMANUEL (1862-1938)
Sonatine pastorale (1897)
1.La caille うずら
2.Le rossignol うぐいす
3.Le coucou かっこう
ルーセル:ロンサールの2つの詩 sop.fl.
Albert ROUSSEL (1869-1937)
Deux poèmes de Ronsard (1924)
1.Rossignol mon mignon... 私の愛しいうぐいすよ
2.Ciel, aer et vens... 空、大気、風
ヘッド:鳥の歌 sop.fl.pf.
Michael HEAD (1900-76)
Bird-song
encore
サンサーンス:見えない笛 (1885) sop.fl.pf.
*出演
砂畑直子 ソプラノ
斎藤和志 フルート
川北祥子 ピアノ
*歌詞大意
鳥たちに贈る歌 ポール・フォール
1 傷ついた鳩
もし神が太陽と地球を作らなかったら、
この世には悲しみも金髪の彼女もなかった。
苦悩も、赤い血も、最愛の女も。
傷ついた鳩もいなかった。
もし神が月と嵐を作らなかったら、
優しい顔に流れる涙も、
残酷なナイフも、最愛の女も...
傷ついた鳩もいなかった...
もし神がこの日々を作らなかったら、
この世には愛はなく、わたしの愛もなかった!
傷ついた鳩もいなく、
そして、ああ!最愛の女も!
2 小さな青い鳩
青い小さな鳩になりたい、
あなたの小さな屋根の上で。
お皿のカタカタいう音や、
火にくべる松かさの音を聞くために。
すてきな物語も聞くために、
あなたの子供たちが毎晩聞く物語。
話すのはあなた、私は幸せ、
神様のお話を聞く天使のように。
そう、楽園のすてきな物語、
一羽の鳥がもう一羽を愛するとき、
樹木も、魚たちも、
オークの木も、鯉も、セキレイも、
松も、リスも、
そよ風も、葦も、バラも、
水の上にかかる虹も、
露も、そして二人の人間も...
あなたの小さな屋根の上で、
青い小さな鳩になりたい。
小さな屋根のわらの中で、私は幸せ、
神様のお話を聞く天使のように。
3 青い鳥
(女神や妖精の名前が並べられている)
4 つかまったカナリア
小さな黄色いカナリアがネコとネズミたちに
えさを分けてと言いました。
ネコのミスティグリじいさん、
カナリアをがまんできるのかしら?
焼網みたいな鬚のミシェルばあさんのネコは
ネズミたちに手をかしてやりました。
ミスティグリおじさん、
ボクを殺すつもりなの?
ネズミたちにパリパリかじられて
カナリアちゃんは天国行きさ。
そしてそれからネコさまが
みんなを食べるのさ。ミャーオ!
でも聞いてびっくり、
そのあとネコたちもみーんな
大食漢の怪物ルストゥクルが
パリパリ食べちゃったんだとさ!
ロンサールの2つの詩 ピエール・ド・ロンサール
1 私の愛しいうぐいすよ
私の愛しいうぐいすよ、この柳の植え込みで
一人思いのまま枝から枝へと飛びまわり、
いつも口ずさまねばならない歌を
歌いながら通る私と競って歌っておくれ。
私たちは二人してため息をつく、
あなたをとても愛する人の好意を
あなたの甘い声は魅きつけようとしている、
私の心にこれほど苦い傷をつけた美しさを
私は悲しみ悔やんでいる。
しかしうぐいすよ、
私たちには一つ違っているところがある。
あなたは愛され、私はそうではない、
たとえ二人が同じような歌を歌っていても。
あなたは甘い声で愛する人を酔わせるけれど
私の愛する人は私の歌を軽蔑し
聞こえないように耳をふさいでしまう。
2 空、大気、風
空、大気、風、平原、はげ山、
岐れた丘、緑の森、曲がった岸、波うつ泉、
雑木林、緑の林、半分開いた苔むす洞窟、
牧草地、つぼみ、花、露にぬれた草、
ぶどう畑、亜麻色の浜辺、
沼地、山脈、そして私の悲しい詩よ、
旅立ちにあたり心配と憤りにやつれ、
近く遠くに私を動揺させるこの美しい
景色の前には言えなかった別れの言葉を、
お願いだから、空、大気、風、山、平原、
雑木林、森、岸、泉、洞窟、牧草地、花よ、
私の代わりに伝えておくれ。
鳥の歌 マージョリー・レイマント
秋空のように曇った悲しい気分で
私は暗い森をさまよう。
すると苔のむしたねじれた枝から
コマドリの澄んだ高い歌声が聞こえる。
こんなに甘く。
湿って寒い波打ち際で
氷のように冷たい泡の指先が
まわりを静かに渦巻く中
灰色のシギは嘆き悲しみ叫ぶ。
こんなにさびしそうに。
四月の朝のうすい桜草の光が
窓越しにやわらかくさし込む。
春のさわやかな夜明けに
私の心は呼び起こされる。
生き返ったいばらの茂みで
クロウタドリが誘うから。
こんなに楽しそうに。
今この香りたつ夏の夜に
私は我を忘れ立ち止まる。
サヨナキドリが頭上でさえずり
純粋な喜びの魔法をかけるから。
こんなに嬉しそうに。
*紹介記事
ペット産業情報紙「ペットジャーナル」(商報社発行)でこの演奏会が紹介されました。
東京ドーム10シーズンキャンペーン「東京ドームであなたの夢かなえます」優秀賞受賞 ― 1997-11-30
(Jul. 1997 / special thanks to gingawanderer-Yumi)
*野球オペラ「マイティーケイシー」を東京ドームで上演したい <応募資料抜粋>
●A Baseball Opera "The Mighty Casey" (1951)
全1幕3場(上演時間約80分)
William Schuman 作曲/Jeremy Gury 台本/
原作: E.L.Thayer "Casey at the Bat"
●ストーリー
第1場 - Before the game - 今日は州の決勝戦。絶好の野球日和。期待を胸に街の人々が球場へやってくる。そして我らがヒーロー、ケイシーの登場だ!
第2場 - The game - ケイシーの恋人やファンの少年、そして沢山の観客が見守るなか、4対2で迎えた9回の裏。2アウトでいよいよ打順はケイシー。熱狂する観客、ケイシーは見送って2ストライク、そして運命の3球目!!しかし…。
第3場 - After the game - 偉大な日の夕暮れ…(オーケストラの演奏のみ)
●野球場を舞台に、試合そのものがオペラとなっている独創的な作品です。プレーする野球選手、観客はもとより、審判や警備員、売り子たち、ケイシーの恋人やファンの少年まで、試合を見ているすべての人々がそれぞれの心情を唄い、さまざまな視線のなかに野球の試合を浮かび上がらせていきます。
●観客と唄い手が入り交じり、このオペラの観客もそのまま劇中の観客となり、オペラの出演者になるのです。本物の野球場で上演することで、今までにない劇場空間になると期待しています。
●オーロラビジョンで、各選手(唄い手)の表情を実況ふうに映し、対訳の字幕も表示するなど、東京ドームならではの演出を盛り込むことができます。野球中継のようにテレビ放送したり…?
●主役のケイシーは黙役。歌も台詞もないが一番のヒーロー。例えば松井選手にこの役をやってもらうのも夢のひとつです。
●大衆的素材を得意とするW・シューマンの傑作として、米国では大変人気の高い作品ですが、おそらく日本では初演になると思われます。
*野球オペラ「マイティーケイシー」を東京ドームで上演したかった…
ストラヴィンスキーアンサンブルでは93年の「子供と魔法」以来五感に訴えるオペラの魅力にとりつかれ次回上演作品を探してきました。それもありきたりの名作ではなくとてつもなく独創的な新しい感覚の作品を。探せばありとあらゆるオペラがあります。登場人物がみんな熊だとか、ジャンピングチャンピオンのカエルの話だとか、宇宙人、ドラキュラ、月旅行、タイムトラベル、等々。が、もちろん奇抜なだけの作品も多く、また特殊な設定のため大掛かりな装置や予算を必要とするものも諦めざるを得ませんでした。
そんな中で候補に上がったのがバーンスタインの「タヒチ島の騒動」。題名こそ奇抜なものの、倦怠期の夫婦のある1日をとおして現代アメリカの苦悩を描いた、まるで辛口コメディー映画のような、洒落た会話がちりばめられた素晴らしいオペラです。しかし残念ながらキャストが2人だけということから断念、この「タヒチ島の騒動」の後半部分は、95年「BERNSTEIN!」にて演技・衣装・小道具と簡単な照明の演出付きで演奏しました。(なお同コンサートではタキシード姿のまま「ジェットソング」の踊りも披露、SMAPばりのカッコ良さだったともっぱらの噂です?)
再び作品探し。何かめちゃくちゃおもしろい作品はないのか?そんなある日「A Baseball Opera」の文字が目に飛び込んできたのです。野球オペラ?一体何なんだ?冗談なのか?しかし楽譜を読むうちに、この「マイティーケイシー」が現代的な設定の中にオペラの要素を巧みに盛り込んだ最もオペラらしい作品であることを確信しました。キャッチャーとピッチャーがサインの確認をする2重唱、審判に抗議する監督(星野監督を思わせる)のアリア、美しい祈りのアリアは「どうかケイシーまで打順が回りますように」という歌詞だし、珠玉のコラールも三振の嘆き、全てが野球場で繰り広げられるのになぜか最高にオペラ的で、オペラの魅力を存分にまた新鮮に伝えてくれる作品なのです。そして劇中劇とも言える試合シーンの興奮。考えてみれば野球の試合は最高のドラマです。あの1球ごとに手に汗握る興奮、誰もが説明無しに共感できるそんなドラマが他にあるでしょうか?また娯楽的な題材でありながらも、打球の行方はオーケストラの音楽とコーラス演じる観衆の演技で表現されるなど、奇を衒った装置等を一切必要としない点も作品の芸術性を高めていると言えます。時は奇しくもメイクドラマに湧く96年、私達はどんどんこの作品に惹き付けられながらも、資金難という壁に立ちはだかられたまま時は過ぎて行ったのでした。
そして翌97年に見つけた東京ドームの公募。ドームでやってみたいイベントの募集、最優秀に輝けばその夢を実現プラス賞金100万円!結果を待つ3か月間、もう私達の夢が膨らみまくったのは言うまでもありません。野球オペラを球場でできたらもっと面白い!本物のマウンドでピッチャーのアリアが歌えるかも?ケイシー役は松井選手だ!… 結果は最優秀賞(1点)の次の優秀賞(3点)、メイクミラクルならず。そして私達の夢は今も実現していません… -お客様の中に「それじゃあ私が制作費を出してあげよう!」という方はいらっしゃいませんか?ご連絡お待ちいたしております。(Nov. 1997 / S.K.)
*野球オペラ「マイティーケイシー」を東京ドームで上演したい <応募資料抜粋>
●A Baseball Opera "The Mighty Casey" (1951)
全1幕3場(上演時間約80分)
William Schuman 作曲/Jeremy Gury 台本/
原作: E.L.Thayer "Casey at the Bat"
●ストーリー
第1場 - Before the game - 今日は州の決勝戦。絶好の野球日和。期待を胸に街の人々が球場へやってくる。そして我らがヒーロー、ケイシーの登場だ!
第2場 - The game - ケイシーの恋人やファンの少年、そして沢山の観客が見守るなか、4対2で迎えた9回の裏。2アウトでいよいよ打順はケイシー。熱狂する観客、ケイシーは見送って2ストライク、そして運命の3球目!!しかし…。
第3場 - After the game - 偉大な日の夕暮れ…(オーケストラの演奏のみ)
●野球場を舞台に、試合そのものがオペラとなっている独創的な作品です。プレーする野球選手、観客はもとより、審判や警備員、売り子たち、ケイシーの恋人やファンの少年まで、試合を見ているすべての人々がそれぞれの心情を唄い、さまざまな視線のなかに野球の試合を浮かび上がらせていきます。
●観客と唄い手が入り交じり、このオペラの観客もそのまま劇中の観客となり、オペラの出演者になるのです。本物の野球場で上演することで、今までにない劇場空間になると期待しています。
●オーロラビジョンで、各選手(唄い手)の表情を実況ふうに映し、対訳の字幕も表示するなど、東京ドームならではの演出を盛り込むことができます。野球中継のようにテレビ放送したり…?
●主役のケイシーは黙役。歌も台詞もないが一番のヒーロー。例えば松井選手にこの役をやってもらうのも夢のひとつです。
●大衆的素材を得意とするW・シューマンの傑作として、米国では大変人気の高い作品ですが、おそらく日本では初演になると思われます。
*野球オペラ「マイティーケイシー」を東京ドームで上演したかった…
ストラヴィンスキーアンサンブルでは93年の「子供と魔法」以来五感に訴えるオペラの魅力にとりつかれ次回上演作品を探してきました。それもありきたりの名作ではなくとてつもなく独創的な新しい感覚の作品を。探せばありとあらゆるオペラがあります。登場人物がみんな熊だとか、ジャンピングチャンピオンのカエルの話だとか、宇宙人、ドラキュラ、月旅行、タイムトラベル、等々。が、もちろん奇抜なだけの作品も多く、また特殊な設定のため大掛かりな装置や予算を必要とするものも諦めざるを得ませんでした。
そんな中で候補に上がったのがバーンスタインの「タヒチ島の騒動」。題名こそ奇抜なものの、倦怠期の夫婦のある1日をとおして現代アメリカの苦悩を描いた、まるで辛口コメディー映画のような、洒落た会話がちりばめられた素晴らしいオペラです。しかし残念ながらキャストが2人だけということから断念、この「タヒチ島の騒動」の後半部分は、95年「BERNSTEIN!」にて演技・衣装・小道具と簡単な照明の演出付きで演奏しました。(なお同コンサートではタキシード姿のまま「ジェットソング」の踊りも披露、SMAPばりのカッコ良さだったともっぱらの噂です?)
再び作品探し。何かめちゃくちゃおもしろい作品はないのか?そんなある日「A Baseball Opera」の文字が目に飛び込んできたのです。野球オペラ?一体何なんだ?冗談なのか?しかし楽譜を読むうちに、この「マイティーケイシー」が現代的な設定の中にオペラの要素を巧みに盛り込んだ最もオペラらしい作品であることを確信しました。キャッチャーとピッチャーがサインの確認をする2重唱、審判に抗議する監督(星野監督を思わせる)のアリア、美しい祈りのアリアは「どうかケイシーまで打順が回りますように」という歌詞だし、珠玉のコラールも三振の嘆き、全てが野球場で繰り広げられるのになぜか最高にオペラ的で、オペラの魅力を存分にまた新鮮に伝えてくれる作品なのです。そして劇中劇とも言える試合シーンの興奮。考えてみれば野球の試合は最高のドラマです。あの1球ごとに手に汗握る興奮、誰もが説明無しに共感できるそんなドラマが他にあるでしょうか?また娯楽的な題材でありながらも、打球の行方はオーケストラの音楽とコーラス演じる観衆の演技で表現されるなど、奇を衒った装置等を一切必要としない点も作品の芸術性を高めていると言えます。時は奇しくもメイクドラマに湧く96年、私達はどんどんこの作品に惹き付けられながらも、資金難という壁に立ちはだかられたまま時は過ぎて行ったのでした。
そして翌97年に見つけた東京ドームの公募。ドームでやってみたいイベントの募集、最優秀に輝けばその夢を実現プラス賞金100万円!結果を待つ3か月間、もう私達の夢が膨らみまくったのは言うまでもありません。野球オペラを球場でできたらもっと面白い!本物のマウンドでピッチャーのアリアが歌えるかも?ケイシー役は松井選手だ!… 結果は最優秀賞(1点)の次の優秀賞(3点)、メイクミラクルならず。そして私達の夢は今も実現していません… -お客様の中に「それじゃあ私が制作費を出してあげよう!」という方はいらっしゃいませんか?ご連絡お待ちいたしております。(Nov. 1997 / S.K.)
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