オーヴェルニュ人が生みだしたパリのカフェ・パリの文化 / カフノーツ#12 ― 2004-11-21
カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。
フランスのオーヴェルニュ地方というと、十字軍の遠征で有名なクレルモン=フェランの街が思い浮かびますが、フランスで「オーヴェルニュ」というと「田舎」をイメージさせる地名のようです。フランス南部に位置するオーヴェルニュ地方は、小麦のとれない痩せた山間地であり、またオック語圏のフランス語を話すため、オイユ語圏のパリからすれば、訛りの強いフランス語を話す田舎者として揶揄されがちだったのでしょう。しかしこのオーヴェルニュ人が、実はパリのカフェのキーマンだったということは、あまり知られていない事実かもしれません。
玉村豊男の『パリのカフェをつくった人々』には、十九世紀末頃からパリへ出稼ぎに来たオーヴェルニュ人が、次第にパリのカフェを生み出した経緯について、カフェ文化論的に描き出されています。最初、農閑期にパリで水運びや炭屋を始めたオーヴェルニュ人が、炭屋のカウンターで地元のワインも立ち飲みで飲めるように出し始め、それが発展してリキュールやカフェ、軽食を出しはじめたのがパリのカフェのスタイルの原型だとか。現在でも多くのオーヴェルニュ人が、パリのカフェの経営者だということです。オーヴェルニュ地方の人々は、真面目で現実的な努力家である一方、新しいアイデアや進取の気質に富んでいるといわれます。炭屋のカウンターでの立ち飲みから、テーブルを用意して軽食もとれるように、カフェのサービスを充実させていったところなど、オーヴェルニュ人の商売アイデアが満ちあふれています。愛郷心の強い彼らは、地元から出稼ぎにやってくる若者を自分の店で働かせ、成長すると彼らは独立してまたカフェを始めます。こうしてカフェは、どんどんパリの街にあふれていったのでしょう。
ジョルジュ・ブラッサンスのシャンソン「オーヴェルニュの人に捧げる歌」は、苦境を助けてくれたオーヴェルニュ人に感謝を込めて捧げた歌ですが、もしかすると、ブラッサンスを助けてくれたのは、カフェを経営していたオーヴェルニュ人なのでしょうか?
そういえば男性のファッションからヒントを得て、女性のための独創的なスタイルを生み出したココ・シャネルもまた、パリで成功した独創的なオーヴェルニュ人でした。最近では、ハーブを使った独創的なフレンチで有名なミッシェル・ブラもオーヴェルニュ人。オーヴェルニュの豊富なハーブや野菜を取り入れた独特のスタイルで注目を浴びている料理人です。独創的なアイデアで、着実に自分の夢を現実にしていくオーヴェルニュの人々は、実はカフェだけでなく、パリの革新的な文化も担っているのかもしれませんね。(カフコンス第12回「アイルランドとオーヴェルニュの歌」プログラム掲載。)
【参考文献】玉村豊男『パリのカフェをつくった人々』(中公文庫)渡辺淳『カフェ ユニークな文化の場所』(丸善ライブラリー)
西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。
フランスのオーヴェルニュ地方というと、十字軍の遠征で有名なクレルモン=フェランの街が思い浮かびますが、フランスで「オーヴェルニュ」というと「田舎」をイメージさせる地名のようです。フランス南部に位置するオーヴェルニュ地方は、小麦のとれない痩せた山間地であり、またオック語圏のフランス語を話すため、オイユ語圏のパリからすれば、訛りの強いフランス語を話す田舎者として揶揄されがちだったのでしょう。しかしこのオーヴェルニュ人が、実はパリのカフェのキーマンだったということは、あまり知られていない事実かもしれません。
玉村豊男の『パリのカフェをつくった人々』には、十九世紀末頃からパリへ出稼ぎに来たオーヴェルニュ人が、次第にパリのカフェを生み出した経緯について、カフェ文化論的に描き出されています。最初、農閑期にパリで水運びや炭屋を始めたオーヴェルニュ人が、炭屋のカウンターで地元のワインも立ち飲みで飲めるように出し始め、それが発展してリキュールやカフェ、軽食を出しはじめたのがパリのカフェのスタイルの原型だとか。現在でも多くのオーヴェルニュ人が、パリのカフェの経営者だということです。オーヴェルニュ地方の人々は、真面目で現実的な努力家である一方、新しいアイデアや進取の気質に富んでいるといわれます。炭屋のカウンターでの立ち飲みから、テーブルを用意して軽食もとれるように、カフェのサービスを充実させていったところなど、オーヴェルニュ人の商売アイデアが満ちあふれています。愛郷心の強い彼らは、地元から出稼ぎにやってくる若者を自分の店で働かせ、成長すると彼らは独立してまたカフェを始めます。こうしてカフェは、どんどんパリの街にあふれていったのでしょう。
ジョルジュ・ブラッサンスのシャンソン「オーヴェルニュの人に捧げる歌」は、苦境を助けてくれたオーヴェルニュ人に感謝を込めて捧げた歌ですが、もしかすると、ブラッサンスを助けてくれたのは、カフェを経営していたオーヴェルニュ人なのでしょうか?
そういえば男性のファッションからヒントを得て、女性のための独創的なスタイルを生み出したココ・シャネルもまた、パリで成功した独創的なオーヴェルニュ人でした。最近では、ハーブを使った独創的なフレンチで有名なミッシェル・ブラもオーヴェルニュ人。オーヴェルニュの豊富なハーブや野菜を取り入れた独特のスタイルで注目を浴びている料理人です。独創的なアイデアで、着実に自分の夢を現実にしていくオーヴェルニュの人々は、実はカフェだけでなく、パリの革新的な文化も担っているのかもしれませんね。(カフコンス第12回「アイルランドとオーヴェルニュの歌」プログラム掲載。)
【参考文献】玉村豊男『パリのカフェをつくった人々』(中公文庫)渡辺淳『カフェ ユニークな文化の場所』(丸善ライブラリー)
西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://cafconc.asablo.jp/blog/2004/11/21/5682750/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。