『ショーシャンクの空に』&『フィガロの結婚』2001-04-11

映画に登場するオペラ作品の数々をとりあげて、
わかりやすく楽しく紹介するコラムです。
この映画もう一回見直してみよう、オペラっておもしろいんだね、って
少しでも思っていただけると嬉しいです。


映画を見たらオペラも見ようよ
第9回『ショーシャンクの空に』響きわたる『フィガロの結婚』
~解説は潔くヤメたいけど…

オペラが映画に使われる時、歌詞やオペラのストーリーを理解してこその意味を持つものも多いとはいえ、どうしても説明的になってしまいがちなのは前回も触れたとおりです。また私も、『フィラデルフィア』はともかく『ディーバ』でも歌詞を説明する必要はあるのか?とか、どうしてこの曲が使われたのか?とか、映画を見ながら気付くといつもいろいろな事を考えてしまっていました。ある時オペラが使われているとも知らずに見た『ショーシャンクの空に』は衝撃でした。

無実の罪で懲役となったティム・ロビンスは、刑務所内の図書室係に生きがいを見い出していく(ように見えた)。ある日寄贈図書と一緒に届いたレコードを、彼は放送室を占拠して刑務所じゅうに放送する。空を仰いでそれを聴く囚人達。モーガン・フリーマンの独白。「俺はこれが何の歌か知らない。よほど美しい内容の歌なのだろう。豊かな歌声が我々の頭上に優しく響き渡った。美しい鳥が塀を消すかのようだった。短い間だったが皆が自由な気分を味わった。」

その歌とはモーツァルトの『フィガロの結婚』からの「手紙の二重唱」。私自身この歌がこんなに美しいと思ったのは初めてのような気がしました。ほんとうに時間がとまるほどゆったりと優雅で美しい曲に聴こえました。説明なんかいらないんだなと思いました。この歌は浮気者の旦那をこらしめるために偽の手紙を書く歌、そんな知識が「美しい曲」だと感じる事の邪魔をしていたように思えました。

と言いながらも説明してしまうのがオペラ好きの性でして…

映画の内容とは一見関連なさそうな「手紙の二重唱」、実は「今夜、庭の松の木の下でお待ちしています」という手紙を書く歌。ロビンスがフリーマンに「いつか故郷バクストンの樫の木の下を訪ねてみてくれ」と言う映画の重要なシーンとの「木の下」リンク?などとこじつけてみたくなったりもするのですが、今回はそういう話はヤメておきましょう(もう喋ってるって)。樫の木についても映画を見てのお楽しみにしておいたほうがよさそうですし。

と言いながらもレコードのエピソードの続きは…

放送室占拠の罰にロビンスは二週間の懲罰房行きとなり、戻った彼は「地獄だったろう」と聞かれて「モーツァルトを聴いていたから快適だった」と答える。レコードなど聴けるわけがないじゃないかと笑う仲間たちへの名セリフ「頭の中で聴いていたんだ。心の中でもね。音楽は決して人から奪えないのさ。」

『ショーシャンクの空に』は、こんないかにもスティーブン・キング原作らしい「感動と奇跡のアンビリーバボー」的シーンが満載なのに、とても穏やかな淡々とした映画です。その雰囲気を作り上げている音楽も、聴こえてこないのが凄いというのか、曲が主張せず何度見てもメロディーを覚えてしまったりすることのない、まさにこれこそ「映画音楽」といった素晴らしさで、アカデミー賞を受賞しています。映画とともにずっと記憶に残って時折思い出して口ずさむようなのもいいですが、こういう音楽も素敵ですよね。だからこそ「手紙の二重唱」がまた際立つのかもしれません。

さて『フィガロの結婚』はこのコラム初めてのコメディです。これまでの8本ではヒロインは全員死亡、それも結核、狂死、自殺、雪崩など壮絶な最期で、恋人も5本で死亡していましたが、誰も死なず全員揃ってハッピーエンドをむかえるこんなオペラもあるんですよ。(ピンク色の部分は映画で使われた箇所です。)

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1幕、伯爵に仕えるフィガロは伯爵夫人の侍女スザンナと今日結婚するのだが、伯爵がスザンナを狙っているのを心配している。女中頭のマルチェリーナは結婚を形にフィガロに金を貸してあるので、何とか二人の結婚を妨害して自分と結婚させようとたくらみ、医者のバルトロもかつて思いを寄せていたロジーナ(伯爵夫人)を伯爵に奪われたので、それをお膳立てしたフィガロを恨んでマルチェリーナを応援している。さらに、すべての女性に恋してしまう(特に伯爵夫人に憧れる)年頃の小姓のケルビーノ、もめ事の大好きな音楽教師バジリオなど、個性的な人物が入り乱れて長い1日が始まる。

2幕、夫の愛情がさめてしまったことを嘆く伯爵夫人に、フィガロとスザンナは伯爵の浮気現場を押さえてこらしめる作戦を提案するが、その準備が伯爵に見つかり一騒動となり、何とか言い逃れた所へ今度はマルチェリーナが現れてフィガロを訴え、さらに大混乱となる。

3幕、裁判になり、フィガロは金を返すかマルチェリーナと結婚するかと追い詰められるが、ふとしたことからフィガロの両親がマルチェリーナとバルトロであることが判明して万事解決、マルチェリーナとバルトロも結婚することになり、めでたく2組の結婚式が行われる。その間に夫人とスザンナは伯爵に密会の手紙を書く。

4幕、夜、伯爵邸の庭。夫人とスザンナは服を交換してそれぞれの夫を試すことにする。フィガロは伯爵とスザンナ(実は夫人)が浮気をしているから仕返しにこちらも浮気をしようと夫人(実はスザンナ)を口説くのでスザンナは怒るが、フィガロは最初からスザンナだとわかっていたと言って2人は和解する。スザンナに逢おうとやって来た伯爵は夫人(実はスザンナ)とフィガロが2人でいるのを見て大騒ぎするが、すべて芝居と分かると深く反省し、夫人も伯爵を許して喜びの合唱で幕となる。
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『フィガロの結婚』は、お話としては『セビリアの理髪師』(ロッシーニ作曲)の続編にあたります。『セビリアの理髪師』は、後見人バルトロや音楽教師バジリオに邪魔される中、ロジーナと伯爵の縁結びをする何でも屋フィガロのお話。『フィガロ』ではちょっと冴えないフィガロですが『セビリア』ではすごいスーパーぶりを発揮します。そんなフィガロって何だか『ムトゥ』(1995印)みたいだと思いませんか?「スーパー召し使い」というキャラクターだけでなく、手紙や庭での大混乱や出生の秘密など、古今東西共通のコメディの定石なのでしょうか。それと、私にはムトゥの登場の歌がフィガロの登場のアリア(「何でも私におまかせを」と歌う「何でも屋の歌」、『トムとジェリー』でブルドックのバリトン歌手が歌うあれです。)のように思えます。

さて次回はスペシャル対談の第2弾、ゲストにソプラノ歌手の安陪恵美子さんをお迎えして、とても美しくとても笑えてとてもブラックなオペラ『ジャンニ・スキッキ』をテーマにお話をうかがう予定です。お楽しみに!

◇『ショーシャンクの空に』THE SHAWSHANK REDEMPTION(1994米)
監督:フランク・ダラボン
音楽:トーマス・ニューマン
出演:ティム・ロビンス/モーガン・フリーマン

◆『フィガロの結婚』LE NOZZE DI FIGARO(1786初演)全4幕
作曲:モーツァルト W.A.Mozart(1756-91)
原作:ボーマルシェ
台本:ダ=ポンテ

川北祥子(stravinsky ensemble)
東京芸術大学大学院修了、「トムとジェリー」とB級映画とパンダを愛するピアノ奏者。
「トムとジェリー」からはクラシック音楽の神髄を、
B級映画からはお金がなくても面白いコトに挑戦する心意気を学ぶ。
パンダからは…?


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*オマケ話(gingapanda掲載の連動コラム)
ショーシャンクの空に

この映画けっこう否定派も多いんですね。中でも面白かったのは「音楽が素晴らしいというんだったらフリーマンのセリフはいらない」というヒトがいたこと。音楽は素晴しいって事を言葉で説明するのは、説明しなきゃ音楽の素晴しさが観客に伝わらないと思ってる、すなわち作った奴は音楽は素晴しいと思ってない、とか何とか…まあそんなフクザツなコト言わないで許して下さい。どうせアンビリバボーなお話なんです。

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