物語る猫たち / カフノーツ#212006-03-19

カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。


 音楽だけでなく、文学と猫も相性がいいようです。『我輩は猫である』をひもといてみるまでもなく、古今東西の文学作品には猫の登場する数多くの物語があります。河合隼雄が『猫だましい』の中で「犬よりは猫の方が、たましいの不可解さ、とらえどころのなさをはるかに感じさせるように思われる」というように、とらえどころのない自由気ままな猫は、人の心を投影する存在なのかもしれません。猫との関係を通して人間のたましいについて考察する『猫だましい』では、神話の猫、昔話の猫、絵本の猫、化け猫、少女マンガの猫など、さまざまな猫の物語が紹介されており、猫と文学の関係を知るにはとても興味深い内容です。

 猫を飼う人たちが「こころのどこかでいつもねこがいなくなる日のことを覚悟している」といったのは、詩人の長田弘。彼が出会って一緒に暮らしてきた猫との暮らしをファンタジックに綴ったエッセイ『ねこに未来はない』は、珠玉の作品。猫は、いつか唐突にいなくなってしまう存在。心のどこかにいつも、別れを予感しながら愛することの切なさを、明るいユーモアに飛んだ文体で綴っています。

 愛することは、いつか失ってしまうこと。それでも、多くの作家が猫を愛するのは、猫という存在を通して、自分の心の動きを映しだしているせいなのでしょうか。それとも、猫の方が作家を操って、自分たちの物語を綴らせているのでしょうか。まさに猫は不思議な存在。だからこそ、音楽家も作家も、猫に関する数多くの作品を生み出していくのです。

 ペローの『長靴をはいた猫』、コレットの『雄猫』、ポール・ギャリコの『ジェニー』、ル=グウィンの『空飛び猫』。そういえば志ん生の落語にも『猫皿』という噺がありました。猫は悠々と自分の道を散歩し、毛繕いしながら、つかず離れず、微妙な距離を保ちながら、人間のことを眺めています。作家を通して物語る猫たちの声に、耳を澄ましてみませんか?(カフコンス第26回「猫の音楽史」プログラム掲載。)

【参考文献】河合隼雄『猫だましい』(新潮文庫)/野澤延行『ネコと暮らせば』(集英社新書)/長田弘『ねこに未来はない』(角川文庫)

西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。

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