コーヒーのうらみ / カフノーツ#052003-09-21

カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。


 十八世紀のドイツにおいても、コーヒーは全国民が熱中した飲み物でした。でも、コーヒーもお砂糖も高くつく輸入品。プロイセンのフリードリッヒ大王はじめ、ドイツの君主たちは、民衆によるコーヒーの過度な消費を抑えようと、いろいろな策を高じます。なんといってもコーヒーも砂糖も、高くつく輸入品。自国の通貨の海外流出はかなりの痛手です。ある君主は、貧しい民衆にはコーヒーを禁じ、貴族からはコーヒー税を取り立て、ある君主はコーヒーの輸入そのものを禁じます。自らもコーヒー好きなフリードリッヒ大王にいたっては、コーヒーは毒であるといいふらさせたそうですが、これも効を成さず。コーヒーはまるで麻薬のようにドイツ人の心を捉えて離しませんでした。

 輸入品のコーヒーに頼らずに自国で代用コーヒーを生産しようという動きも生まれてきました。大豆、麦芽、さまざまなものが試されます。なかでも有名なのは、サラダに使うチコリーの根を使ったチコリーコーヒー。これは日本でも有名な代用コーヒーです。長崎の出島に取り残されたオランダ人が、チコリーで代用コーヒーを作ったという逸話もありますし、太平洋戦争時代にもチコリコーヒーが生産されたとか。

 しかし代用品はしょせん代用。あのコーヒー独特の香りもありません。そこで弾圧された民衆は、本物のコーヒーをお湯で薄めて、大切に飲みました。マイセンによくある、カップの底に小花模様が描かれたコーヒーカップは、実は薄めたコーヒー全盛時代のなごりとか。きっと底の小花模様が見えるほどに薄いコーヒーを飲んでいたのでしょう。

 その後ナポレオンの大陸封鎖で、ドイツへのコーヒー輸入の道は実際に絶たれてしまいますが、あらゆる網の目をかいくぐってコーヒー密輸が試みられます。「ナポレオンの大陸封鎖によって生じた砂糖とコーヒーの欠乏が、ドイツ人をナポレオン蜂起に駆り立てた」と、カール・マルクスがいうように、コーヒーのうらみは戦争の一因にもなりうるのでしょう。このように、君主や外国との戦争によって、ドイツ人のコーヒーへの偏愛は、苦難の歴史を重ねてきたのでした。

 現代の私たちも、もしコーヒーが禁止されたらいったいどうなってしまうでしょう? これはちょっと、想像するだけでも怖ろしいですね。(カフコンス第5回「オーボエ/ファゴット/ピアノによる三重奏vol.2」プログラム掲載。)

【参考文献】平野雅章他編『食の名言辞典』(東京書籍)マックス・フォン・ベーン『ドイツ十八世紀の文化と社会』(三修社)臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る』(中公新書)日本コーヒー文化学会編『コーヒー事典』(柴田書店)

西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。

オーボエ/ファゴット/ピアノによる三重奏vol.2(カフコンス第5回)2003-09-21

*曲目

フランセ「三重奏曲」
Jean Françaix (1912-1997)
Trio pour hautbois, basson et piano (1994)
  1.Adagio - Allegro moderato
  2.Scherzo
  3.Andante
  4.Finale

プレヴィン「三重奏曲」
André Previn (1929-)
Trio for oboe, bassoon & piano (1994)
  1.Lively
  2.Slow
  3.Jaunty

(ガンヌ「ほほえむ春の優しい花よ」)


*出演

福井貴子(オーボエ)
井上直哉(ファゴット)
川北祥子(ピアノ)


*プログラムコメント

 20世紀においてオーボエ・ファゴット・ピアノという編成の作品は珍しくないが、それ以前の作品を探すとバロックの時代にまでさかのぼることになる。古典からロマン派の時代には全般的に管楽器の人気が高くなく、独奏楽器と通奏低音というバロックのスタイルそのものであるこの編成の作品が書かれなかったのは当然とも言えるが、そう考えると、何世紀も経て新たな記念碑的名作を創りだしたプーランク(前回演奏)の功績の大きさをあらためて感じないではいられない。プーランクなくしてその後の作品が書かれたかどうかも疑問に思えてくるのだ。
 本日演奏する二作品は、20世紀初頭のフランスの流れをくむフランセ(仏)と、指揮者・ピアニスト(ジャズも)・作曲家(映画音楽も)として現役活躍中のプレヴィン(米)によるものである。20世紀末、偶然にも同じ1994年に書かれたこの対照的な二作品もまた、21世紀の作品を導くことになるのかもしれない。


*カフノーツ

#05 コーヒーのうらみ