ヴィンチェンツォ・ベッリーニとヴィンチェンツォ・ベッリーニ2016-06-13

というわけでソプラノソロで演奏するのは、「オーボエ協奏曲」と同じく1941年にチレアによって出版された「Tecum principium」、音楽院入学前の1819年頃に故郷のカターニアで書かれた宗教曲です。

ベッリーニは、8ヶ月で歌い、2歳から理論を、3歳からピアノを学び、5歳で素晴らしい演奏を披露、6歳で初の歌曲を書いたそうです(家族の手記なので親○゛○は差し引くべきですが)。やがて宗教音楽家だったおじいちゃんに代わって教会で見事に指揮をしたり、9歳の頃には作曲したミサ曲が演奏されるまでになりました。

ちなみにベッリーニのフルネームはヴィンチェンツォ(・サルヴァトーレ・カルメーロ・フランチェスコ)・ベッリーニ、おじいちゃんはヴィンチェンツォ(・トビーア・ニコーラ)・ベッリーニ。自分の名を継いでしかも才能のある孫におじいちゃんはさぞメロメロだった事でしょう。お父さんロザーリオの名は資料にもほとんど出てこなくてちょっと可哀想... そして、父より優れた作曲家だった祖父も、孫を教えるには音楽的に限界があったようです。

しかし都会の音楽院へやるには経済的な限界があり、留学が実現したのは市制委員会の奨学金のおかげでした。この奨学金は4年分で、卒業後にカターニアへ帰るという条件つき(違反すると全額返済)。すぐに学費免除の特待生になったので帰る義務はなくなりましたが(よかった!)、もしかしたらオペラを書く事もないまま「オーボエ協奏曲」を持ってカターニアへ戻っていた可能性もあるのですね...

さて「Tecum principium」は「最初のクリスマスのミサのための昇階唱」としておじいちゃんの教会からオーダーされたものと思われます。ベッリーニの特徴が既に現れているかは微妙な、モーツァルトやハイドンを思わせる古典的作風で(ケルビーニやチマローザと言うべきか)、同時期の宗教曲なら「Salve Regina」のほうが、「Ah non credea」(「夢遊病の女」のアリア)等に似ていて後のオペラに通じるとも言えますし、また4年さかのぼる「Versetti da cantarsi il Venerdì Santo」のほうが(イエスの死などの内容に拠る所も大きいですが)力作の印象です。

でもベッリーニの作曲のスタート地点を探るには「Tecum principium」はちょうど良いサンプルかもしれません。彼が最初から天才だったのか、その後の進化が凄かったのか、ぜひお聴きになってジャッジしてみてください!(まあ「天才がさらに進化した」とするのが妥当なのでしょうけれど。)


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今月の演奏メニュー

2016年6月26日(日) 11時開演(10時40分開場)
於:本郷・金魚坂 / コーヒーまたは中国茶つき 1,500円

cafconc第121回
ベッリニアーナ・カフェ

ベッリーニ「"カプレーティとモンテッキ" より おお幾度か」sop,hr,pf
同「Tecum principium」sop,pf
同「協奏曲 より Allegro polacca」hr,pf
ヘンツェ「ルーシー・エスコット・ヴァリエーション」pf
ニコライ「ベッリーニの "夢遊病の女" による協奏的変奏曲」sop,hr,pf

柳沢亜紀(ソプラノ)
笠間芙美(ホルン)
川北祥子(ピアノ)

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