カフェ・コンセールの人々 / カフノーツ#222006-06-18

カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。


 カフコンスの名前の由来であるカフェ・コンセールは、1860年代頃からフランスで流行した音楽カフェ。華やかに着飾った歌姫や演奏家、コメディアンたちが舞台に立ち、聴衆に娯楽を与えました。当時のカフェ・コンセールは、テレビのない時代の生娯楽。舞台のアーティストたちは、聴衆を楽しませるために、歌うピアニストや腰振りワルツなどの芸を次々と生み出して喝采を浴びていました。

 モンマルトルで有名だった「黒猫」は、画家ロドルフ・サリが自分のアトリエを芸術酒場としてオープンさせたもの。仕送りが絶え、実家の酒を売る酒場を思いつくあたり、サリには商才とプロデュース能力があったのでしょうか。当時流行していたポーの小説の題から名付けられたこの芸術酒場は、文士や画家の表現の場として大きなムーブメントを起こします。詩人シャンソン歌手や影絵芝居などの出し物で、パリの社交名所として「黒船」は大繁盛。若きエリック・サティも、数ヶ月ほどこの店でピアニストとして働いていました。その後、サティは「オーベルジュ・デュ・クルー」、「新アテネカフェ」という店でシャンソン歌手のピアノ伴奏を努めます。1920年代に諷刺音楽家として注目を浴びるサティもまた、カフェ・コンセールで育った音楽家でした。

 カフェ・コンセールのブームは、パリだけでなく地方にも飛び火していました。1905年頃、ムーランという街の「ラ・ロトンド」という店では、20代の若きガブリエル・シャネルが舞台に立ち、シャンソンを歌っていました。当時のカフェ・コンセールでは、歌手と歌手の出番のあいだにつなぎの出し物を見せる、いわばお飾り的女の子「ポーズ嬢」をステージに並ばせていました。士官の取り巻きが多かった美しいシャネルは、ここでポーズ嬢として「ココリコ」「トロカデロでココを見たのはだれ」というシャンソンを歌い、そこからココというあだ名をつけられたといわれています。ココ・シャネルの野心の始まりは、舞台でのスターになること。そしてほとんど同じ頃のパリで、のちの小説家コレットもまた、ダンサーとして舞台に立っていました。当時の女性が自分という商品を武器にして、自立して働くための手段がカフェ・コンセールという場だったのです。20世紀を代表する二人の女性が、カフェ・コンセールを足がかりにして、やがて時代の寵児へと変貌したことを考えると、カフェ・コンセールという装置の、影響力や求心力の凄さを実感させられますね。(カフコンス第28回「カフェコンセールの歌姫」プログラム掲載。)

【参考文献】ハインツ・グロイル『キャバレーの文化史』(ありな書房)/海野弘『ココ・シャネルの星座』(中公文庫)/安達正勝『二十世紀を変えた女たち』(白水社)/荻谷由喜子『音楽史を彩る女性たち』(ショパン)/ソフィ・トゥルバック『ココ・シャネル 悲劇の愛』(集英社)/ポール・モラン『獅子座の女』(文化出版局)

西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。

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