ひとりの時間、別れの時間。 / カフノーツ#142005-03-27

カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。


 人はどんなときにコーヒーを欲するのでしょうか? 徹夜で仕事をするとき、頭をすっきりとさせたいとき、一息つきたいとき、二人で語りたいとき。どんなときにも、コーヒーは人生のスパイスのようにごく自然にそこにいて、そのとき、その人が欲している時間を提供してくれる、そんな飲物のような気がします。

 たとえば、青年ウェルテルのひたむきな愛のさまが描かれた『若きウェルテルの悩み』では、ウェルテルの人生の区切りの場面で、コーヒーが登場します。

 物語のはじめ、まだ激しい愛に胸を焼かれることもなく、豊かな自然の田園風景の中で古代ギリシャの詩人ホメロス(ホーマー)の詩に親しみ、「私はひとりで生きて、私のような心のためにつくられたこの土地に暮らして、わが生を楽しんでいる」と友への手紙に書き綴るほどに幸せな時間を過ごすウェルテル。この頃の彼の若い心には、未来への希望や勉学への夢が詰まっていたにちがいありません。無限に豊かな自然の恵みの中にいる彼の心は、ホメロスや自然への興味に満ち、彼の次の言葉の中にその喜びが表れています。

 「レストランからここまで自分用の卓と椅子をもってこさせ、ここでわがコーヒーをのみ、愛するホーマーを読む」

 居心地のいいお気に入りの場所で、お気に入りのコーヒーを飲み、お気に入りの詩を読む。この上なく贅沢な時間を楽しむ、ウェルテルの無上の喜び。誰もが感じたことのある幸せな時間。自由なひとりの時間をさらに引き立ててくれるのが、ここに登場したコーヒーなのでしょう。

 しかし、ウェルテルの平穏な心は、美しいロッテと出会い、激しい愛を知ることによって永遠に消え去ることになります。どうすることもできないロッテへの深い愛に身を委ねて、とうとう最後にウェルテルは死を決意します。ロッテに永遠のさようならを告げて帰った翌朝、彼は彼女へ最後のお別れの手紙を綴ります。ウェルテルが迎える「最後の朝」、そこへ召使いが呼ばれて持って行くのは、やはりコーヒーでした。このときのコーヒーを飲む時間を、死を計画するウェルテルはどんな気持で味わったのでしょうか? コーヒーも、ホーマーも、もう二度と再びウェルテルに平穏な幸福を与えることはできませんでした。

 ひとり幸福なときのコーヒー、自らの愛に別れを告げるときのコーヒー、どちらがおいしかったのか、それとも苦かったのか。それは誰にもわかりません。(カフコンス第15回「わが愛しのナイチンゲール」プログラム掲載。)

【参考文献】ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(岩波文庫)

西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。

わが愛しのナイチンゲール(カフコンス第15回)2005-03-27


*曲目

メシアン「黒つぐみ」
Olivier Messiaen (1908-92)
Le merle noir (1951)
フルート&ピアノ

同「黒つぐみ」(鳥の小スケッチ より)
Le merle noir (1985)
ピアノ

クープラン「恋のうぐいす」
François Couperin (1668-1733)
Le rossignol-en-amour
フルート&ピアノ

ドップラー「森の鳥」
Franz Doppler (1821-83)
L'oiseau des bois
フルート&ピアノ

ルーセル「ロンサールの2つの詩」
Albert Roussel (1869-1937)
Deux poèmes de Ronsard (1924)
  Rossignol, mon mignon... 私の愛しいうぐいすよ
  Ciel, aer et vens... 空、大気、風、
ソプラノ&フルート

ヘッド「鳥の歌」
Michael Head (1900-76)
Bird-song
ソプラノ&フルート&ピアノ

(サンサーンス「見えない笛」ソプラノ&フルート&ピアノ)


*出演

渡邊玲奈(フルート)
渡辺有里香(ソプラノ)
川北祥子(ピアノ)


*プログラムコメント

 鳥の声を聴くのに説明も野暮なのだが一言ずつ。メシアンは20世紀に多様な作曲技法を編み出した一方、野生の鳥の声を採譜して作品に用いたことでも有名。2曲の「黒つぐみ(クロウタドリ)」はメシアンの「鳥」作品群のほぼ最初と最後に位置する。「恋のうぐいす」はフランスバロックを代表する作曲家クープランの優雅なクラヴサン曲。「森の鳥」はフルートの名手でもあったドップラーの作品で、ホルン四重奏の森でフルートの鳥がさえずるという珍しい編成によるもの。歌曲3曲はそれぞれヴァラン、クロワザ、ジョーン・サザーランドという名歌手達に捧げられている。歌詞大意もご参照いただき、「ロンサールの2つの詩」では16世紀フランスルネサンス文学の世界を、「鳥の歌」ではイギリスの四季の田園風景をご想像いただければと思う。


*歌詞大意

ロンサールの2つの詩(ピエール・ド・ロンサール)

私の愛しいうぐいすよ、この柳の植え込みで
一人思いのまま枝から枝へと飛びまわり、
いつも口ずさまねばならない歌を
歌いながら通る私と競って歌っておくれ。
私たちは二人してため息をつく、
あなたをとても愛する人の好意を
あなたの甘い声は魅きつけようとしている、
私の心にこれほど苦い傷をつけた美しさを
私は悲しみ悔やんでいる。
しかしうぐいすよ、
私たちには一つ違っているところがある。
あなたは愛され、私はそうではない、
たとえ二人が同じような歌を歌っていても。
あなたは甘い声で愛する人を酔わせるけれど
私の愛する人は私の歌を軽蔑し
聞こえないように耳をふさいでしまう。

空、大気、風、平原、はげ山、
岐れた丘、緑の森、曲がった岸、波うつ泉、
雑木林、緑の林、半分開いた苔むす洞窟、
牧草地、つぼみ、花、露にぬれた草、
ぶどう畑、亜麻色の浜辺、
沼地、山脈、そして私の悲しい詩よ、
旅立ちにあたり心配と憤りにやつれ、
近く遠くに私を動揺させるこの美しい
景色の前には言えなかった別れの言葉を、
お願いだから、空、大気、風、山、平原、
雑木林、森、岸、泉、洞窟、牧草地、花よ、
私の代わりに伝えておくれ。

鳥の歌(マージョリー・レイメント)

秋空のように曇った悲しい気分で
私は暗い森をさまよう。
すると苔のむしたねじれた枝から
コマドリの澄んだ高い歌声が聞こえる。
こんなに甘く。

湿って寒い波打ち際で
氷のように冷たい泡の指先が
周りを静かに渦巻く中
灰色のシギは嘆き悲しみ叫ぶ。
こんなに寂しそうに。

四月の朝の薄い桜草の光が
窓越しにやわらかくさし込む。
春の爽やかな夜明けに私の心は呼び起こされる。
生き返ったいばらの茂みでクロウタドリが誘うから。
こんなに楽しそうに。

今この香りたつ夏の夜に
私は我を忘れ立ち止まる。
サヨナキドリが頭上でさえずり
純粋な喜びの魔法をかけるから。
こんなに嬉しそうに。


*カフノーツ

#14 ひとりの時間、別れの時間。