雲雀よ雲雀、高く昇って駆けめぐれ。 / カフノーツ#09 ― 2004-05-16
カフノーツはコーヒーにまつわる短いお話をあれこれご紹介します。 コーヒーでも飲みながらのんびりお読みください。
イギリス人にとって雲雀は、昔から馴染みの深い鳥だったようです。イギリスの文学や諺などには、雲雀に関係するものがいくつかあります。as happy as lark(とても楽しい)、get up with the lark(早起きする)、Bugger this for a lark(もううんざり)、If the sky fall, we shall catch larks(棚からぼた餅)などなど。朝からさえずる雲雀の声、空の高さと雲雀の飛翔、そんなイメージからこんな言葉が生まれたのでしょうね。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』では、ジュリエットが朝を告げる雲雀の声を「あれは夜の鳥ナイチンゲール」といって、ロミオが帰っていこうとするのを引き留めていました。ナイチンゲールと雲雀は、夜と昼の鳥としてセットになって使われることが多いようです。
マザーグースの「Who killed Cock Robin?」では、殺されたこまどりのための牧師になるのが雲雀。ちなみにこのCook Robin(雄のこまどり)を殺したのは雀でした。
Who'll be the clerk? 誰が牧師になるの?
"I," said the Lark, 「私が」と、雲雀がいった。
"I'll say Amen in the dark; 「私が闇の中でアーメンといおう。
I'll be the clerk." 私が牧師になろう。」
この童謡、鳥だけではなくいろいろな動物が淡々と登場しますが、最後の最後に可哀想なコマドリを嘆いて悲しんでやるのは、すべての空の鳥だけでした。
ウイリアム・ブレークは、春の訪れを知らせる雲雀を詩的霊感の訪れと重ね合わせていましたし、詩人シェリーもまた「雲雀に寄せる」という詩で「あふれる歌声の即興の芸」と雲雀の歌声についてうたっています。そういえば、夏目漱石『草枕』の主人公は、峠の途中で雲雀の声を聞き、「雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない」と雲雀を褒め称えながら、このシェリーの雲雀の詩の一節を思い出します。
空高く飛翔し、美しいさえずりを低く高く歌い続ける雲雀の姿と声に、古今東西さまざまな人々がインスピレーションを受けたのかもしれません。
今回のヴォーンウィリアムズ作曲の「ひばりは高く(The Lark ascending)」という作品は、日本では「揚げ雲雀」と訳されることが多いようです。雲雀の鳴き方には、いろいろな名前があって、「揚げ」は地上から大空に向かいながら鳴く声をいい、地上に向かって下りてくるときの声は「下げ」、そして野生の雲雀を捕まえてならして篭の中で鳴かせる声は「台切り」といいます。日本語の美しい表現の習わしが、そのまま翻訳に使われたのかもしれません。それほどに、雲雀はイギリスでも日本でも馴染みの深い鳥だったのです。
ヴォーンウィリアムズ自身は、ビクトリア時代の作家ジョージ・メレディスの詩「The Lark ascending」からインスパイアされて、この作品を作曲したといわれています。また夏目漱石は、このイギリス文壇の大御所ジョージ・メレディスの文体を模して『虞美人草』を書いたというエピソードもあります。雲雀がくるくると空中を巡り歩いて、意外なところでつながっていたようですね。
ちなみに、今回同じく取り上げているフランスオーベルニュ地方の人々は、パリではオーベルニュと呼ばれていました。辛抱強くて剛毅なオーベルニュの多くは、 出稼ぎに来たパリでカフェ経営者として成功していきました。朝早くから夜遅くまで営業しているカフェは、真面目で働き者のオーベルニュの気質にあっていたのかもしれませんね。さて、オーベルニュたちのカフェは、次回のカフコンスで。今日の午後は、雲雀の姿や声が空にないか探してみてはいかがでしょう?ではまた、7月にお会いしましょう。(カフコンス第9回「イングランドとオーヴェルニュの歌」プログラム掲載。)
西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。
イギリス人にとって雲雀は、昔から馴染みの深い鳥だったようです。イギリスの文学や諺などには、雲雀に関係するものがいくつかあります。as happy as lark(とても楽しい)、get up with the lark(早起きする)、Bugger this for a lark(もううんざり)、If the sky fall, we shall catch larks(棚からぼた餅)などなど。朝からさえずる雲雀の声、空の高さと雲雀の飛翔、そんなイメージからこんな言葉が生まれたのでしょうね。シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』では、ジュリエットが朝を告げる雲雀の声を「あれは夜の鳥ナイチンゲール」といって、ロミオが帰っていこうとするのを引き留めていました。ナイチンゲールと雲雀は、夜と昼の鳥としてセットになって使われることが多いようです。
マザーグースの「Who killed Cock Robin?」では、殺されたこまどりのための牧師になるのが雲雀。ちなみにこのCook Robin(雄のこまどり)を殺したのは雀でした。
Who'll be the clerk? 誰が牧師になるの?
"I," said the Lark, 「私が」と、雲雀がいった。
"I'll say Amen in the dark; 「私が闇の中でアーメンといおう。
I'll be the clerk." 私が牧師になろう。」
この童謡、鳥だけではなくいろいろな動物が淡々と登場しますが、最後の最後に可哀想なコマドリを嘆いて悲しんでやるのは、すべての空の鳥だけでした。
ウイリアム・ブレークは、春の訪れを知らせる雲雀を詩的霊感の訪れと重ね合わせていましたし、詩人シェリーもまた「雲雀に寄せる」という詩で「あふれる歌声の即興の芸」と雲雀の歌声についてうたっています。そういえば、夏目漱石『草枕』の主人公は、峠の途中で雲雀の声を聞き、「雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない」と雲雀を褒め称えながら、このシェリーの雲雀の詩の一節を思い出します。
空高く飛翔し、美しいさえずりを低く高く歌い続ける雲雀の姿と声に、古今東西さまざまな人々がインスピレーションを受けたのかもしれません。
今回のヴォーンウィリアムズ作曲の「ひばりは高く(The Lark ascending)」という作品は、日本では「揚げ雲雀」と訳されることが多いようです。雲雀の鳴き方には、いろいろな名前があって、「揚げ」は地上から大空に向かいながら鳴く声をいい、地上に向かって下りてくるときの声は「下げ」、そして野生の雲雀を捕まえてならして篭の中で鳴かせる声は「台切り」といいます。日本語の美しい表現の習わしが、そのまま翻訳に使われたのかもしれません。それほどに、雲雀はイギリスでも日本でも馴染みの深い鳥だったのです。
ヴォーンウィリアムズ自身は、ビクトリア時代の作家ジョージ・メレディスの詩「The Lark ascending」からインスパイアされて、この作品を作曲したといわれています。また夏目漱石は、このイギリス文壇の大御所ジョージ・メレディスの文体を模して『虞美人草』を書いたというエピソードもあります。雲雀がくるくると空中を巡り歩いて、意外なところでつながっていたようですね。
ちなみに、今回同じく取り上げているフランスオーベルニュ地方の人々は、パリではオーベルニュと呼ばれていました。辛抱強くて剛毅なオーベルニュの多くは、 出稼ぎに来たパリでカフェ経営者として成功していきました。朝早くから夜遅くまで営業しているカフェは、真面目で働き者のオーベルニュの気質にあっていたのかもしれませんね。さて、オーベルニュたちのカフェは、次回のカフコンスで。今日の午後は、雲雀の姿や声が空にないか探してみてはいかがでしょう?ではまた、7月にお会いしましょう。(カフコンス第9回「イングランドとオーヴェルニュの歌」プログラム掲載。)
西川公子 Hiroko Nishikawa
ウェブやフリペの企画・編集・ライティング。プレイステーションゲーム『L.S.D.』の原案、『東京惑星プラネトキオ』『リズムンフェイス』のシナリオなど。著作に10年分の夢日記をまとめた『Lovely SweetDream』。最近は老人映画研究家。
イングランドとオーヴェルニュの歌(カフコンス第9回) ― 2004-05-16
第9回荻窪の音楽祭(主催:「クラシック音楽を楽しむ街・荻窪」の会
共催:杉並区文化・交流協会 後援:杉並区/杉並区教育委員会
21世紀の荻窪を考える会)参加公演
*曲目
ヴォーン ウィリアムス「ひばりは高く」
Ralph Vaughan Williams (1872-1958)
The lark ascending (1914-20)
(ヴァイオリン&ピアノ)
同「2つのイングランド民謡」
Two english folk-songs
Searching for lambs 小羊を探して
The lawyer 法律家
(ソプラノ&ヴァイオリン)
カントルーブ「オーヴェルニュの歌 第1集」
Joseph Canteloube (1879-1957)
Chants d'Auvergne 1re série (1923)
La pastoura als camps 野の羊飼いの娘
Baïlèro バイレロ
Trois bourées 3つのブーレ*
a)L'aïo dè rotso 泉の水
b)Ound'onorèn gorda? どこへ羊を放そうか?
c)Obal,dins lou Limouzi あちらのリムーザンには
(ソプラノ&ピアノ +*ヴァイオリン)
(ヴォーンウィリアムス編「グリーンスリーブス」)
*出演
渡辺有里香(ソプラノ)
島﨑祐子(ヴァイオリン)
川北祥子(ピアノ)
*プログラムコメント
カフコンス民謡シリーズ第1回(!?)の本日は、民謡の採譜編曲で知られる二人の作品を並べてみた。
ヴォーンウィリアムス(英)は民謡を「和声やリズムに支配されない純粋な旋律」と呼んだ。「2つのイングランド民謡」では伴奏にも旋律楽器であるヴァイオリンが用いられている。また彼は民謡を「共同体という幹をもつ個の開花」とも呼び、これを音楽活動の理想としていた。「ひばりは高く」は具体的な民謡からは離れ、彼の理想を普遍性をもって実現したと言われる作品の一つで、19世紀イギリスの作家メレディスの詩から着想された。
民謡研究を創作にも反映させたヴォーンウィリアムスに対し、カントルーブ(仏)は「無伴奏で歌う農民の周りには自然や大地の伴奏があり、芸術家にしか聞こえないその伴奏を音楽に書き表すことによって、必要な雰囲気を呼び起こすことができる」と語って、フランス各地の民謡収集と伴奏付けに専念し、故郷へのオマージュともいえる「オーヴェルニュの歌」(全5集27曲)が代表作となった。
*歌詞大意
「2つのイングランド民謡」
* 小羊を探して
ある五月の朝 娘に出会った
ちょうど太陽が昇った
「どうしてこんなに早く行くの
小さな足で朝の露をはねながら」
「丘や谷のあちらこちらでお母さん羊を待っている
おさない小羊たちに えさをやるの」
「ああ行かないで もう少しここにいて
私がこんなに愛する人はあなたの他にはいないから
何と太陽は素晴しく輝き何と空気が心地よいことか
ほんとうの愛の懐で休みたい 他のどこでもなく
私はあなたのもの あなたは私のものだから
誰にもあなたを困らせたりさせない 結婚しよう」
* 法律家
あるとき法律家が馬車で通りかかった町で
娘を見かけ とても綺麗だと思った
「美しい娘さんどちらへお出かけですか?」
「父が草刈りをしている向こうの牧場へ」
「私がロンドンへ連れていってあげましょう
シルクの服や金の指輪もあげましょう」
「ロンドンなんて知りませんわ
シルクの服や金の指輪もいりませんわ」
今では彼女は貧乏な男の妻 夫に深く愛されて
町で彼女ほど幸せな女性はいない
「オーヴェルニュの歌 第1集」
* 野の羊飼いの娘
羊飼いの娘が野へ出て羊の番をしていると、
素敵な男と出会う。
「なんてかわいらしいんだ、
よくあんたを眺めさせておくれ」
「それなら、あんたの馬を木につないだら」
男は娘を自分のものにできる!と思ったが、
娘はサッと逃げて行った。
* バイレロ
「羊飼いさん、そっちは楽しくないでしょう?」
「ああ、楽しくないよ。おまえは?」
「羊飼いさん、こっちの野は花がいっぱい、
群を連れてこちらへおいでなさいよ。」
「こっちはいい草があるぞ。」
「羊飼いさん、間に川があって、渡って行けないわ。」
「じゃあ、こっちからおまえに会いにいくよ。」
* 3つのブーレ
a)泉の水
娘さん、泉の水を飲んではいけない、命取りだよ。
飲むんならコップ一杯のワインにしなよ。
結婚したい娘には泉の水を飲ませちゃいけないよ。
ワインの方をもっと好きになっちゃうからね。
b)どこへ羊を放そうか?
「どこへ羊を放そうか?かわいい娘さん」
「岸辺まで下りましょう。
その原っぱは新しく草が生えているし、
花畑のそばに羊を放して、
私たちは一日愛し合いましょう。」
「羊をごらん、かわいい娘さん。
羊にミツバチ、それに僕たち。
羊は草を食み、ミツバチには花、
僕ら愛し合う者どうしは愛の喜びで生きるのさ」
c)あちらのリムーザンには
「お嬢さん、あちらのリムーザンには
確かにきれいな娘さんがいるけれど、
こちらにだっているさ。」
「だて男さん、あなたのお故郷(くに)の
若い娘さんたちはきれいでしょうが、
あたしたちのふるさとリムーザンの男たちは
とっても優しいのよ」
「お嬢さん、あちらのリムーザンの男たちは
優しいかもしれないが、
ここオーヴェルニュ、僕たちの故郷(くに)では、
誠実に君らを愛するさ!」
*カフノーツ
#09 雲雀よ雲雀、高く昇って駆けめぐれ。
共催:杉並区文化・交流協会 後援:杉並区/杉並区教育委員会
21世紀の荻窪を考える会)参加公演
*曲目
ヴォーン ウィリアムス「ひばりは高く」
Ralph Vaughan Williams (1872-1958)
The lark ascending (1914-20)
(ヴァイオリン&ピアノ)
同「2つのイングランド民謡」
Two english folk-songs
Searching for lambs 小羊を探して
The lawyer 法律家
(ソプラノ&ヴァイオリン)
カントルーブ「オーヴェルニュの歌 第1集」
Joseph Canteloube (1879-1957)
Chants d'Auvergne 1re série (1923)
La pastoura als camps 野の羊飼いの娘
Baïlèro バイレロ
Trois bourées 3つのブーレ*
a)L'aïo dè rotso 泉の水
b)Ound'onorèn gorda? どこへ羊を放そうか?
c)Obal,dins lou Limouzi あちらのリムーザンには
(ソプラノ&ピアノ +*ヴァイオリン)
(ヴォーンウィリアムス編「グリーンスリーブス」)
*出演
渡辺有里香(ソプラノ)
島﨑祐子(ヴァイオリン)
川北祥子(ピアノ)
*プログラムコメント
カフコンス民謡シリーズ第1回(!?)の本日は、民謡の採譜編曲で知られる二人の作品を並べてみた。
ヴォーンウィリアムス(英)は民謡を「和声やリズムに支配されない純粋な旋律」と呼んだ。「2つのイングランド民謡」では伴奏にも旋律楽器であるヴァイオリンが用いられている。また彼は民謡を「共同体という幹をもつ個の開花」とも呼び、これを音楽活動の理想としていた。「ひばりは高く」は具体的な民謡からは離れ、彼の理想を普遍性をもって実現したと言われる作品の一つで、19世紀イギリスの作家メレディスの詩から着想された。
民謡研究を創作にも反映させたヴォーンウィリアムスに対し、カントルーブ(仏)は「無伴奏で歌う農民の周りには自然や大地の伴奏があり、芸術家にしか聞こえないその伴奏を音楽に書き表すことによって、必要な雰囲気を呼び起こすことができる」と語って、フランス各地の民謡収集と伴奏付けに専念し、故郷へのオマージュともいえる「オーヴェルニュの歌」(全5集27曲)が代表作となった。
*歌詞大意
「2つのイングランド民謡」
* 小羊を探して
ある五月の朝 娘に出会った
ちょうど太陽が昇った
「どうしてこんなに早く行くの
小さな足で朝の露をはねながら」
「丘や谷のあちらこちらでお母さん羊を待っている
おさない小羊たちに えさをやるの」
「ああ行かないで もう少しここにいて
私がこんなに愛する人はあなたの他にはいないから
何と太陽は素晴しく輝き何と空気が心地よいことか
ほんとうの愛の懐で休みたい 他のどこでもなく
私はあなたのもの あなたは私のものだから
誰にもあなたを困らせたりさせない 結婚しよう」
* 法律家
あるとき法律家が馬車で通りかかった町で
娘を見かけ とても綺麗だと思った
「美しい娘さんどちらへお出かけですか?」
「父が草刈りをしている向こうの牧場へ」
「私がロンドンへ連れていってあげましょう
シルクの服や金の指輪もあげましょう」
「ロンドンなんて知りませんわ
シルクの服や金の指輪もいりませんわ」
今では彼女は貧乏な男の妻 夫に深く愛されて
町で彼女ほど幸せな女性はいない
「オーヴェルニュの歌 第1集」
* 野の羊飼いの娘
羊飼いの娘が野へ出て羊の番をしていると、
素敵な男と出会う。
「なんてかわいらしいんだ、
よくあんたを眺めさせておくれ」
「それなら、あんたの馬を木につないだら」
男は娘を自分のものにできる!と思ったが、
娘はサッと逃げて行った。
* バイレロ
「羊飼いさん、そっちは楽しくないでしょう?」
「ああ、楽しくないよ。おまえは?」
「羊飼いさん、こっちの野は花がいっぱい、
群を連れてこちらへおいでなさいよ。」
「こっちはいい草があるぞ。」
「羊飼いさん、間に川があって、渡って行けないわ。」
「じゃあ、こっちからおまえに会いにいくよ。」
* 3つのブーレ
a)泉の水
娘さん、泉の水を飲んではいけない、命取りだよ。
飲むんならコップ一杯のワインにしなよ。
結婚したい娘には泉の水を飲ませちゃいけないよ。
ワインの方をもっと好きになっちゃうからね。
b)どこへ羊を放そうか?
「どこへ羊を放そうか?かわいい娘さん」
「岸辺まで下りましょう。
その原っぱは新しく草が生えているし、
花畑のそばに羊を放して、
私たちは一日愛し合いましょう。」
「羊をごらん、かわいい娘さん。
羊にミツバチ、それに僕たち。
羊は草を食み、ミツバチには花、
僕ら愛し合う者どうしは愛の喜びで生きるのさ」
c)あちらのリムーザンには
「お嬢さん、あちらのリムーザンには
確かにきれいな娘さんがいるけれど、
こちらにだっているさ。」
「だて男さん、あなたのお故郷(くに)の
若い娘さんたちはきれいでしょうが、
あたしたちのふるさとリムーザンの男たちは
とっても優しいのよ」
「お嬢さん、あちらのリムーザンの男たちは
優しいかもしれないが、
ここオーヴェルニュ、僕たちの故郷(くに)では、
誠実に君らを愛するさ!」
*カフノーツ
#09 雲雀よ雲雀、高く昇って駆けめぐれ。
最近のコメント