『セビリアの理髪師』2002-06-03

映画に登場するオペラ作品の数々をとりあげて、
わかりやすく楽しく紹介するコラムです。
この映画もう一回見直してみよう、オペラっておもしろいんだね、って
少しでも思っていただけると嬉しいです。


映画を見たらオペラも見ようよ
第20回 エピソードI『セビリアの理髪師』
~交際1日で電撃結婚?

今回ご紹介する『セビリアの理髪師』は『フィガロの結婚』(第9回参照)の30年後に書かれたいわば「エピソードI」。セビリアの理髪師フィガロが「伯爵の結婚」をとりもつお話です。まずはストーリーから。

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1幕1場、夜明け前の広場。青年貴族アルマヴィーヴァ伯爵は愛の歌「空がほほえみ」を歌うがお目当てのロジーナは窓辺に現れない。そこへフィガロが「私は街の何でも屋」と登場する。彼がロジーナの家に出入りしていると知り、伯爵はとりなしを頼むことにする。その時ロジーナが「あなたのお名前とお気持ちをお知らせ下さい」という手紙を窓から落とすので伯爵は身分を隠し「私はリンドーロ、貧しい学生ですが心を贈ります」と歌にのせて思いを伝える。しかしロジーナの後見人バルトロも彼女に結婚を迫っている。フィガロと伯爵は作戦を練る。

2場、ロジーナの家。ロジーナは「今の歌声は私の心に響きわたった」と歌う。そこへ音楽教師で情報通のバジリオが来て、ロジーナを見初めたアルマヴィーヴァ伯爵がこの街に来ているからスキャンダルを流して追い払うよう「陰口はそよ風のようなもの」とバルトロに入れ知恵する。その間にフィガロとロジーナは「自分の従弟リンドーロはロジーナという娘に恋しているんだ」「まあ、それは私のことね」と二重唱、ロジーナはリンドーロへの手紙をフィガロに託す。伯爵は酔っぱらった士官に扮装してロジーナの家に入るが本物の兵隊も来てしまい一同大混乱の合唱となる。

2幕。伯爵は今度はバジリオの代理の音楽教師に扮装し、歌の稽古のふりをしてロジーナと愛を語ることに成功。フィガロはバルコニーの鍵を盗み真夜中に駆け落ちする算段を整える。しかしバジリオが現れまたもや混乱、バルトロにも扮装を見破られ、伯爵とフィガロは逃げ帰る。にせ教師が伯爵と知ったバルトロはロジーナに「リンドーロはお前を伯爵に売ろうとしているのだ」と言って自分との結婚を承諾させる。真夜中に忍んで来た伯爵とフィガロに、ロジーナは裏切られたと怒るが、リンドーロ=伯爵とわかると誤解はとけ、バルトロは彼女の財産を全てもらうことで手を打ち、伯爵とロジーナは晴れて結婚する。
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それにしても毎日愛の歌を歌っていたからって、交際一日(いや交際もまだしていない?)で結婚って電撃すぎませんか?「とある一日の朝から晩までのお話」というのはコメディの定石で仕方ないのでしょうか。

では各登場人物のアリアを映画でチェックしていきましょう。まずは前回の『かくも長き不在』で男がいつも歌っていたのは伯爵のアリア「空はほほえみ」で、二人でレコードを聞いて歌う「夜明けの光がさしてきたのに何故あなたは目を覚まさないのか?」という歌詞が記憶喪失の彼と重なって泣けるところ。ちなみにこのしっとりしたアリアの後半はテンポも速く華やかに伯爵の高鳴る心を歌いますが、店のジュークボックスは前半で終わってしまうのがSPレコードの時代を感じさせます。もう1曲、店に居合わせた客とオペラ談義になるのはバジリオのアリア「陰口の歌」。小さな噂が少しずつ広がって最後には大爆発する様子が歌われます。どちらもシンプルな歌で、プッチーニのように涙腺を直接刺激するような音楽ではないのに、映画ではとても切なく聴こえるのは何故なのでしょう。

さて次にフィガロの「何でも屋の歌」、これは『トムとジェリー』の「へんてこなオペラ」が最高(力説)!!犬のバリトン歌手に余興の売り込みを断られた手品師が腹いせに指揮者と入れかわってリサイタルをメチャメチャに…いやそんな話はどうでもいいんです。とにかくもともと楽しい歌が見事なハチャメチャ漫画に仕立てられていて、これはもう全ての方に見てもらいたい(力説)!!これを見てしまうと普通の人間の歌う「何でも屋の歌」では満足できなくなってしまったりもしますが、10年ほど昔のオランダの公演でフィガロがジャグリングをしながら歌うという演出もあったので、みんなもっとどんどん『トムとジェリー』に挑戦してみてほしいものです(違うって)。『トムとジェリー』ではクラシックネタのエピソード以外にもクラシックが普段のBGMに使われることで有名ですが、特に「セビリア序曲」の「ロッシーニクレッシェンド」と呼ばれるだんだん盛り上がる音楽に乗って白熱する追っかけっこはもう伝説の域(力説)!!

「セビリア序曲」と言えばフェリーニの『8 1/2』ではマルチェロ・マスコロヤンニが口ずさんでいましたが、マストロヤンニにはなぜか「セビリア」が集中しているようです。『黒い瞳』では湯治場(?)の生演奏(!)でロジーナのアリア「今の歌声は」が歌われていました。『白夜』では恋敵ジャン・マレーが「みなさんを『セビリアの理髪師』にご招待しましょう」と誘うとお店のお手伝いのおばあちゃんが「『セビリアの理髪師』は大好き」とうっとりと「今の歌声は」を歌い、オペラを見に行ったマレーとマリア・シェルは言葉もかわさず見つめ合います。ちょうど舞台では「それは私のことね」とロジーナが愛を確信する二重唱。このシーンにマストロヤンニは登場しませんが、実はこの二重唱には、フィガロが手紙を書くようにすすめるとロジーナはもう書いて用意してある、という映画と同じ展開があり、マストロヤンニがフィガロと重なっているとも言えます。「今の歌声は」もただ恋こがれているだけではなく「私は勝ってみせるわ」と歌うアリアで、ロジーナとシェルが強くて利発な女性なのもリンク。しかしマストロヤンニはフィガロと違い彼女に恋してしまっているので悲しい結末を迎えることになります。

最後にマストロヤンニ以外の一本も。オーソン・ウェルズの『市民ケーン』が手に入れられなかったものの一つは妻のオペラ歌手としての成功でした。彼女が最初にケーンと出会った時にどうしてもとせがまれ、虫歯の痛みをこらえて歌ったのが「今の歌声は」。ケーンはなんとか彼女を成功させようと優秀な先生をつけオペラハウスまで建てましたが、しかし彼女には「勝ってみせる」つもりはなかったのでした。

次回はオペラハウスを建てられなかった男『フィツカラルド』。

◇トムとジェリー『へんてこなオペラ』MAGICAL MAESTRO(1952米)
監督:テックス・アヴェリー
音楽:スコット・ブラッドレー

◇『8 1/2』OTTO E MEZZO(1963伊)
監督:フェデリコ・フェリーニ
音楽:ニーノ・ロータ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ/アヌーク・エーメ

◇『白夜』LE NOTTI BLANCHE(1957伊)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
音楽:ニーノ・ロータ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル

◇『黒い瞳』OCHI CHYORNYE(1987伊)
監督:ニキータ・ミハルコフ
音楽:フランシス・レイ
出演:マルチェロ・マストロヤンニ/シルヴァーナ・マンガーノ

◇『市民ケーン』CITIZEN KANE(1941米)
監督:オーソン・ウェルズ
音楽:バーナード・ハーマン
出演:オーソン・ウェルズ/ジョセフ・コットン

◆『セビリアの理髪師』IL BARBIERE DI SIVIGLIA(1816初演)2幕4場
作曲:ロッシーニ G.Rossini(1792-1868)
原作:ボーマルシェ
台本:ステルビーニ

川北祥子(stravinsky ensemble)
東京芸術大学大学院修了、「トムとジェリー」とB級映画とパンダを愛するピアノ奏者。
「トムとジェリー」からはクラシック音楽の神髄を、
B級映画からはお金がなくても面白いコトに挑戦する心意気を学ぶ。
パンダからは…?


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*オマケ話(gingapanda掲載の連動コラム)
下手な歌手

映画に出てくる「不美人」が実際には充分「美人」なように「下手な歌手」も下手じゃなかったりしますよね。『市民ケーン』の奥さんも酷評するほど下手?あれじゃケーンに上手く聞こえて成功を信じてしまってもそれほど愚かとは言えないと思うんですけど。下手っていうならのど自慢で鐘1コしか鳴らない位の誰が聞いてもメチャクチャな下手さにしなくっちゃ。『マルクス兄弟オペラは踊る』にしても、嫌味な大スターテノールはブーイングで無名の主人公が歌うとやんやの喝采だけど、はっきり言って上手さは同じじゃないかなあ。その点『白夜』のオバアチャンの下手さはすごかった!音程が全くない!それでいて乙女の憧れまで感じさせる味。オバアチャンには謹んで鐘1コと特別賞を差し上げたいと思います。(あとダンスの上手下手も私には理解不能なんですけど。)

『フィツカラルド』2002-06-11

映画に登場するオペラ作品の数々をとりあげて、
わかりやすく楽しく紹介するコラムです。
この映画もう一回見直してみよう、オペラっておもしろいんだね、って
少しでも思っていただけると嬉しいです。


映画を見たらオペラも見ようよ
第21回 オペラハウスを建てられなかった男『フィツカラルド』
~ネタバレ注意!

「アマゾンの奥地にオペラハウスを建てようとする男の物語」とたいてい説明される『フィツカラルド』、しかしこの映画は「アマゾンの奥地にオペラハウスを建てる物語」ではなく、あくまでも「男の物語」のほう。そこを勘違いしていてどうせ感動の苦労話だろうと見始めた私は(ヘルツォーク監督とクラウス・キンスキーでこの読みは甘かった)夢破れる展開に驚き、それがショックに近い感動に変わりました。ですので未見の方にネタバレしてしまったらゴメンナサイ。

さてこの『フィツカラルド』は「オペラを知っているともっと面白いんでしょう?」とよく質問されますが、全然そんな事はありません(笑)。知っていて面白いとすれば唯一「リカルドなんとかいう作曲家(リヒャルト・ワーグナーのことらしい)のドイツのオペラで…たしか『清教徒』という題名らしい」という台詞に「違い過ぎ!」と突っ込めるくらい(『清教徒』はイタリアのベッリーニの作品で舞台はイギリス)。でもじゃあ終わりというのもなんですので使われたオペラを一通りご紹介しておくことにしましょう。

劇中では二本のオペラが上演されます。まずフィツカラルドが何日もかけてボートを漕いで見に行き、カルーソーに指を差される(?)のはヴェルディの『エルナーニ』。

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元貴族のエルナーニを愛するエルヴィラは後見人シルヴァとの結婚が決まっているが、エルナーニの敵である国王ドン・カルロもエルヴィラに思いを寄せている。国王への復讐を願うシルヴァは、恋敵ではあるがエルナーニをかくまい二人で暗殺を誓う。エルナーニはシルヴァに狩猟用の角笛を渡し、助けてもらったお礼にこれを鳴らした時には命をシルヴァに捧げると誓う。ロ-マ皇帝に選ばれたドン・カルロは反逆者の死刑を命ずるがエルヴィラの嘆願で恩赦を与える。貴族となったエルナーニとエルヴィラの婚礼の日、シルヴァが現れて角笛を吹き、毒薬か剣かとエルナーニに迫る。エルヴィラは慈悲を請うがエルナーニは剣で胸を刺し、後を追おうとするエルヴィラを止めて息絶える。
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そんな約束でどうしても死ななければならないの?という疑問も忘れてしまうほど情熱的なオペラで、映画でも最後の三重唱が大袈裟な演技で歌われます。エルヴィラ役はもう声が出ない有名歌手なので声は裏の代役だったり、そのオペラハウスのオーナーの「南米で成功したヨ-ロッパ人はヨーロッパの有名人を呼びたがる」という台詞など、ヘルツォーク監督はオペラを神格化してしまわないよう随所にこんなシーンを作っているのではとも思えます。

そしてラストの船上で上演されるオペラは(ワーグナーではない)ベッリーニの『清教徒』。

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清教徒革命の時代、清教徒派の城主の娘エルヴィラは党派を越えて愛し合う王党派の騎士アルトゥーロと結婚できることになったが、婚礼の日、アルトゥーロは元王妃の逃亡に手を貸し、エルヴィラは他の女性と逃げるアルトゥーロを見て錯乱する。逃亡中のアルトゥーロと再会したエルヴィラは正気に戻り誤解も解けるが、アルトゥーロは清教徒軍に逮捕されてしまう。しかしアルトゥーロ赦免の知らせがとどき、二人は再び結ばれる。
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ベッリーニのオペラの中でも特に美しさの際立つとされる最後の作品ですが、愛し合う二人が引き裂かれ結ばれる展開が都合3回繰り返され、エルヴィラが喜んだり悲しんだり狂ったり正気に戻ったりが忙しいストーリー。映画で歌われる1幕3場「愛しい乙女よあなたに愛を」は、婚礼の日にアルトゥーロがエルヴィラを讃え、エルヴィラがそれに応え、人々が祝福する重唱で、キンスキーとカルディナーレの笑顔も印象的なラストシーンでしたが、私にはどうもこの爽やかさが引っ掛かります。『市民ケーン』(1941米)は「何も手に入れることができなかった勝者」、フィツカラルドは「何かを成し遂げた敗者」と考えるのが一般的かもしれませんが、オペラハウスの建設に失敗する以前にその資金繰りに失敗した現実のほうが、全てが救われるラストのオペラと考えないほうが、ヘルツォーク×キンスキー×フィツカラルドの狂気とロマンにつながるのではと思えます。

そのほかにフィツカラルドがかけたカルーソーのレコードの曲目も簡単にご紹介しておきます。

レオンカヴァッロ『道化師』1幕「衣装をつけろ」(子供達とブタ君に聞かせる)
第13回参照。

マイアベーア『アフリカの女』4幕「おお楽園よ」(パーティで資産家達に聞かせる)
『アフリカの女』は新大陸を求めて航海するヴァスコ・ダ・ガマを愛し、彼を救い、身を引いたアフリカの女王を描いたオペラで、「おお楽園よ」はヴァスコが女王の島を訪れ、その美しさに感動して歌うアリア。

マスネ『マノン』2幕「夢の歌」(船でレコードをかけると原住民の太鼓が止む)
数多くあるマノンのオペラ(第15回参照)の一つ。「夢の歌」はデ・グリューが夢に想う二人の将来を歌い、泣いているマノンをなぐさめるアリア(しかしマノンはわびしい生活と彼を捨てる決心をした所だった)。

ヴェルディ『リゴレット』3幕「美しい乙女よ」(船でかけながら進む/山越え着水の瞬間)
女好きの公爵が他の女を口説くのを彼を愛する娘が陰から見て嘆き、父親は娘を慰めて復讐を誓う、それぞれが心境を歌う4重唱。

プッチーニ『ボエーム』4幕「もう戻らないミミ」(山越えの途中)
第2回参照。ロドルフォとマルチェッロがそれぞれの昔の恋人を想って歌う2重唱。

ドニゼッティ『ランメルモールのルチア』2幕2場「婚礼の6重唱」(激流に流される)
第6回その3参照。

それにしても壮大な自然や圧倒される映像に、マッタリと流れるオペラがなんと美しくマッチしていたことでしょうか。これこそオペラの力!と思いつつ、音楽としては対極とも言える『地獄の黙示録』(1979米)の「ジ・エンド」(ドアーズ)もあらためて凄いなあと思います。(が次回は「ジ・エンド」ではなく「ワルキューレの騎行」です。)

◇『フィツカラルド』FITZCARRALDO(1982独)
監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
音楽:ポポル・ヴー
出演:クラウス・キンスキー/クラウディア・カルディナーレ

◆『エルナーニ』ELNANI(1844初演)4幕5場
作曲:ヴェルディ G.Verdi(1813-1901)
原作:ユゴー
台本:ピアーヴェ

◆『清教徒』I PURITANI(1835初演)3幕5場
作曲:ベッリーニ V.Bellini(1801-35)
原作:小説「オールド・モータリティ」とその戯曲化「議会党派と王党派」
台本:ペーポリ

川北祥子(stravinsky ensemble)
東京芸術大学大学院修了、「トムとジェリー」とB級映画とパンダを愛するピアノ奏者。
「トムとジェリー」からはクラシック音楽の神髄を、
B級映画からはお金がなくても面白いコトに挑戦する心意気を学ぶ。
パンダからは…?


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*オマケ話(gingapanda掲載の連動コラム)
フィツカラルド・クルーズ

映画で泣きそうな時必死でツッコミやおバカな事考えたりしません?(しないか…)『フィツカラルド』中盤でいつも考えるのは「フィッツ・クルーズ」、もちろん某千葉の遊園地のあれ。案内役のお兄さんは白スーツに白い帽子、途中山越えを手伝わされ最後は激流コースター!でもそんなの乗ったら映画を思い出して号泣しちゃうじゃん!と正気に戻ってやはり泣くのでした。ラストシーンは泣きながら「ブタ君はどうした~ブタ君を出せ~」と必死でツッコミ。無駄な抵抗はよそうと思うんですけど…でもそんな風に思いついた「フィッツ水上音楽祭」は我ながらなかなかのアイディア。川に浮かべた船でオペラを上演して岸から観てもらう。なんて芸術的で美しい企画なんだ!(今度はキマった!)と想像するだけでワクワクしつつ東京でやるとなると隅田川に屋形船??と悲しいオチがついてしまうのでした。(でもやってみたいなあ…)